ここから本文です

【サッカーコラム6月編】18歳の小野伸二と久保建英と~フランスW杯の記憶

6/26(水) 7:23配信

ベースボール・マガジン社WEB

 U-20ワールドカップに女子ワールドカップ、コパ・アメリカがあって、U-22代表がトゥーロン国際大会に、U-18代表がリスボン国際トーナメントに参戦、そしてもちろんJリーグも。サッカー界はイベントづくし。日本サッカーの『過去』を個人の記憶とともに月ごとに振り返るコラム「Back in the Football Days」は、そんな大忙しの6月編。ヨーロッパのクラブシーンが落ち着いて、代表レベルのビッグイベントが目白押しとなるこの月を振り返るなら…今回は日本が『世界の舞台』に初めて上がった1998年フランス・ワールドカップでしょう!

携帯電話が怖い

 近代の日本サッカー史を人間の一生に例えるなら、初めてワールドカップに出場した1998年前後から、自国開催のワールドカップの熱狂が凄まじかった2002年あたりまでが、いわゆる「青春」に当たるのではないだろうか。

 青春を謳歌する当事者のほとんどがそうであるように、自分が青春真っ只中にいることの自覚はおぼろげながらにあったとしても、本当の価値はその時期をあっという間に通り過ぎたあと、しばらく経ってからようやく分かるもの。そこにかかった時間の分だけ記憶のいろいろが熟成されて甘酸っぱくなるものだが、私からすればあの頃のことはそろそろ「甘」が消えて「酸っぱい」だけになってしまいそうで、その前に振り返っておくことにする。

 初めてアジア予選を突破して本大会に出場したフランス・ワールドカップ。日本の初戦は6月14日、ツールーズでのアルゼンチン戦だった。サッカーマガジンの特派記者としてフランスに入っていた私は、実はこのアルゼンチン戦を取材できていない。

 当たり前だが、サッカーマガジンとしても「日本が出場するワールドカップ」を取材するのは初めてで、しかも私自身が過去のワールドカップの取材は未経験だった。どのような取材態勢で臨むのかという点については諸先輩方が方向性を決めてくれたが、記者とカメラマン、合わせて8人のスタッフが手分けしてどの試合の取材に当たるか、その割り振りが大切になってくる。それを私が組み立てるように命じられたのだった。

 ロジスティックス、いわゆる後方支援は実際の取材と同様に重要なミッションだった。宿泊先の手配は旅行会社に協力を仰いだが、担当する試合を決めるだけではなくて、会場までの移動手段を調査してシミュレートし、一人ひとりに提案するのも私の役目になった。

 噛み砕いていうと、例えば「Aさんはまず、この試合を取材してほしいので大会事務局に申請してください。最初の試合はマルセイユなので、パリからこの時間のこのTGV(フランスの新幹線)に乗れば間に合いますので、予約をしておいてください。試合後の取材が終わったらいつまでにこの分量の原稿を書いて東京の編集部に送ってください。宿はここです。翌朝は早くて申し訳ないけれど、この電車でナントに移動して、この試合の取材をして、終わったら……」という行程表を全員分、延々と作り込んだ。インターネットを気軽に利用できる以前の話である。調べるだけで時間ばかりかかり、やっとそれぞれにアナウンスできたと思うと矢継早に質問が飛んできて、また一つ一つ確認しては答えていった。

 そんな苦労の甲斐あって、現地に入ってからも最初から最後まで全員がスムーズに取材することができた…という奇跡が起こるはずはなく、想像をはるかに超えて大小さまざま、多種多様なトラブルが次から次へと飛んできた。その度に私のレンタル携帯電話がけたたましく鳴るのだ。

 そもそも、当時のレンタル携帯電話はちょっとした弁当箱ほどの大きさがあって、充電器もでかい。その重みだけでも存在感たっぷりなのに、バイブレーション機能もなかったから着信があれば音が鳴る。鳴ればつまりそれはトラブルの合図。怖くて怖くて仕方がなかった。

 その電話に、日本代表を密着取材している先輩・伊東武彦さんから着信があった。ツールーズで行なわれたアルゼンチン戦の直後のことだ。

 私はサンテチエンヌのスタジアム「ジョフロワ・ギシャール」にあるプレスセンターのテレビで0-1の惜敗を見届けていて、電話口に向かって「いやあ、残念でしたねえ」と呑気に話したら、空気が凍ったのを感じた。「スケジュール全部組み変えろ。残り2試合、お前も来い」。私は当初の予定では、アルゼンチン戦だけではなく、クロアチア戦もジャマイカ戦も取材のメンバーに入っていなかった。しかし、初戦でいきなり締め切りとのギリギリの戦いを強いられ、残り試合で同じ状況になる危険を避けなければならない、という判断だった。

 こうして、少なくとも続く2試合は取材できるチャンスが巡ってきた。自分でスケジュールを組みながら、日本の試合を取材できないことの寂しさを感じていたので、この突然の指令は実はうれしかった。

1/3ページ

最終更新:6/26(水) 14:51
ベースボール・マガジン社WEB

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事