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私があこがれた「ミスター赤ヘル、山本浩二」/新井貴浩コラム

6/27(木) 10:58配信

週刊ベースボールONLINE

運命の2005年

 前回は、四番を外されることになり、浩二さんの前で涙を流したところまでお話しました。以下、浩二さんではなく、少し私自身についての話が長くなりますが、当時の私の心境について説明させてください。

【画像】「お兄ちゃん」最後のユニフォーム姿

 翌04年もパッとせず、規定打席にも届いていません。振り返ってみても、この2年間にはつらい思い出ばかりがあります。とことん追い詰められ、続く05年を前に、これが今後の野球人生を決める年になる、と感じました。これまでの2年間と同じ結果なら、自分のポジションが決まるという危機感です。

 要は、相手が左投手ならスタメンで、右投手だったら代打要員……。プロの世界は次々に新しい選手が入ってきます。力があっても「ここ」というチャンスをつかみ損ね、控えに甘んじる選手はたくさんいます。

 とにかく、何かを変えなきゃいけない。変えなければ、これが最後、ラスト1年になると思いました。

 04年のオフには、初めて鹿児島の最福寺に護摩行に行きました。ご存じの方も多いと思いますが、火柱の前でお経を唱え続ける密教の修行です。あまりの厳しさに気を失ってしまう人もいるし、数日間の修行の後は顔や手がやけどだらけになってしまいます。すがるような思いでしたが、やり抜いたことで、大きな心の支えとなりました。

 05年も開幕スタメンではありませんでした。ラロッカが四番でしたが、開幕カードの巨人戦2戦目に彼が肉離れをし、離脱。代わりに「六番・サード」でチャンスが回ってきて、2本のホームランを打ちました。2本目は僕の通算100号で決勝2ランです。それですぐスタメン定着ではなかったんですが、気持ちを切らさず、代打で結果を出し、7月3日、東京ドームの巨人戦で浩二さんに再び四番に指名していただき、ホームランを打ちました。

 この年は、今度こそ四番に定着したいとか、そんなことはまったく考えていません。このまま終わってたまるかと、ガムシャラにずっと走り続けた結果、ホームラン王を獲ることもできました。

 ただ、チームは低迷し、最下位。結果的に浩二さんの最後の年になってしまいました。当時、自分のことだけで精いっぱいでしたが、まったく打てない自分を四番で使い続けた浩二さんは大変だったと思います。「なんで新井を四番で使うんだ」と批判されていたと思います。よくあそこまで我慢して使ってくれたと思いますし、今の自分は浩二さんとの出会いがなかったらいません。本当に感謝しかありません。

 今までたくさんの監督さんにお世話になってきたのですが、一番迷惑をかけた監督だと思います。

 引退会見の前、浩二さんには直接電話をし、報告をしました。

 浩二さんは、

「そうか、よう頑張ったな。最高の引き際だと思うので、あとは最後まで頑張れ」

 と言ってくれました。「最後まで」という言葉に、浩二さんの選手哲学を感じます。やるからにはチームのために最後まで全力で、というメッセージだと思いました。

 さすが、私があこがれた「ミスター赤ヘル、山本浩二」です。

PROFILE
あらい・たかひろ●1977年1月30日生まれ。広島県出身。広島工高から駒大を経て99年ドラフト6位で広島入団。4年目の2002年に全140試合に出場し、05年は43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。07年オフ、FA権を行使して阪神に移籍した。11年には打点王になるなど活躍するも、14年は出場機会が減少し、オフに自ら申し出る形で自由契約に。15年に8年ぶりに古巣・広島に復帰。16年には四番打者として25年ぶりのリーグ優勝をけん引し、リーグMVPに輝く。17年途中からは代打が多くなったが勝負強さは健在で、球団史上初のリーグ3連覇に貢献した。18年限りで現役を引退。通算成績は2383試合、2203安打、319本塁打、1303打点、43盗塁、打率.278。

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最終更新:7/7(日) 11:47
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