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【娘のきもち】離婚した両親のどちらかに味方する必要なんてなかった。そのことに気づくまで10年間父親と会わなかった

6/27(木) 11:03配信

サライ.jp

取材・文/ふじのあやこ


家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。

今回お話を伺ったのは、東京の百貨店で販売員の仕事をしている明美さん(仮名・39歳)。神奈川県出身で、両親と2歳下に妹のいる4人家族。門限だけはやたらと厳しい心配性な両親の下で育ちます。勉強が嫌いだったことや両親の勧めもあり、高校卒業後は現在も働く百貨店に就職します。

「今は正社員での募集自体が厳しくなっていますが、私が就職した時はまだ正規雇用がたくさんあって、私も正社員として採用されました。就職先では同期に恵まれて、仕事は大変で覚えることも多かったけど、仕事終わりに同期と遊びに行くことがとても楽しかったんです」

社会人になっても一度も家を出ない理由は両親の不仲。小さい頃から妹と心配し続けた記憶が残る

高校時代に夏は18時、冬は17時だった門限は社会人になってから緩くなったものの、あまりに遅くなることはダメだったとか。父親はお店の閉店時間から2時間以上経つと連絡をしてくることもあったと言います。

「仕事は早番遅番の違いはあるんですが、閉店は当時20時だったので、22時を過ぎると心配して連絡が来ることもありました。でも、働き出してお金も手に入れて、周りには仲良くしている同期たちがいる。仕事終わりに父からの連絡を無視して遊びに行っていましたね。無視して夜遅くに帰ると、玄関にブザーのようなものが設置されていて、玄関の扉を開けると近所迷惑ぐらいの音で鳴るんです……。その音を聞いて、父親が怒りに起きてくるんですよ。そんなことが何度もあったんですが、お互い諦めなくて、体力勝負みたいな感じになっていましたね(苦笑)」

社会人になっても明美さんはずっと実家から通い続けます。それは少しずつ大きくなっていった両親の不仲を心配してだったそう。

「もちろん実家のほうが家賃も浮くし、通勤も苦じゃない距離だったし、利便性もありました。でも、小さい頃から両親はよくケンカをしていて、母親が一人で家を出て行ったことや、私たちを連れて母の友人の家で数日過ごしたことを覚えています。父には兄の他に妹もいて、頑固な父の代わりに叔母さんが私たちを迎えに来てくれたこともよくありました。妹ともどっちが両親のケンカを止めにいくかをよく話し合っていましたね。昔はそこまで深刻なことなんだって子供だったから思わないじゃないですか。でも、私も大人になるにつれて、両親のケンカがぼんやりとしていたものからリアルなものになっていったというか。このままでは母親がつぶれてしまうんじゃないかと思うようになったんです」

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最終更新:6/27(木) 12:12
サライ.jp

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