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「父に愛されていたのは、私なんです」拳銃強奪事件・その他に見る、偉大すぎる親を持つ子の苦悩

6/27(木) 11:00配信

文春オンライン

両親に暴力をふるいながら、「おれの人生はなんだったんだ」

 なにをやっても親がついてまわる人生がある。親は親、子は子とわかっていながら、周囲は身勝手にも、子供が親のようになるものだと期待し、それがプレッシャーとなって、ときに人生を歪ませてしまう。親は親で、子が弱みや悩みになりもする。

「どんな家にも問題はある」とは、森健による小倉昌男の評伝『小倉昌男 祈りと経営』にある有名な一節だ。成功した起業家であっても、いくらカネがあっても、どんな家庭にも問題はある。

 それは老境をむかえた元エリート官僚の家も例外ではなかった。

「おれの人生はなんだったんだ」。農水省元事務次官のニュース記事の見出しでこの言葉をみたとき、てっきり事務次官にまでなりながら殺人者に堕ちた父親の発言かとおもってしまったのだが、実際は息子のものであった。そう叫びながら両親に暴力をふるったという。息子のみならず、父も母親も、それぞれの心うちにこの言葉があったろう。こうまでひとを苦しめる親子とはいったいなんなのかと、おもってしまう。家族とは「業」であるかのようだ。

 

(参考)週刊文春2019年6月13日号・20日号・27日号
(注1)児玉博『堤清二 罪と業』文藝春秋・2016年
(注2)長嶋一茂『三流』幻冬舎・2001年
(注3)野村克則『プロ失格』日本文芸社・2011年

urbansea

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最終更新:6/27(木) 11:27
文春オンライン

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