ここから本文です

47歳「斬新な日本酒」を造り込む男の痛快な仕事

6/27(木) 5:00配信

東洋経済オンライン

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第65回。
 藤村卓也さん(47歳)は岩手県にある清酒製造業、喜久盛酒造の社長だ。

この記事の写真を見る

 喜久盛酒造は1894年から酒蔵を続ける歴史のある酒造店であり「喜久盛」「鬼剣舞」といったこだわりの日本酒が売りだったが、現在1番の売れ線は「タクシードライバー」という銘柄だ。

 「え?  本当に日本酒の名前なの?」

 と思った人も多いだろう。名前だけではなく、赤い文字で描かれたパッケージデザインも強烈だ。

 その過激な見た目とは裏腹に、「タクシードライバー」は岩手の米だけを使ったまじめな純米酒だ。伝統の製造方法を保ちつつ、斬新な商品を造る藤村さんだが、これまでどのような道のりを歩んで来たのだろうか? 

■造り酒屋の5代目として生まれる

 藤村さんは母親の実家である東京の病院で産まれ、その後は岩手で育った。

 「造り酒屋の子どもとして生まれました。創業は1894年で、僕は5代目になります。小さい頃は景気がよかったですね。人もたくさん雇っていました。欲しいと思った物はなんでも買ってもらえました」

 日本酒の需要は1973(昭和48)年をピークに落ち込んでいくが、その頃はまだ余力が残っていた。

 「1977(昭和52)年には、岩手の放送局でローカルテレビコマーシャルを流していました。オリジナルソングを歌っていたのがテレサ・テンです。CMには、こみこみで200万円くらいかかったそうです。本当に余裕があったんですね」

 小学校は1学年1クラス20人と、第2次ベビーブーム世代としては少なかった。

 「小学校3年生のときにはすでに、家業を継ぐという意識が芽生えていました。ただ、いずれ家業は継ぐけど、それまでにいったん親のコネが通じないところで就職して、30歳くらいまでは好きなことをやろうと思っていました。

 その頃は実は運動嫌いな肥満児でしたね。運動をしたくないという理由でブラスバンド部に入っていました」

 だが中学に進学し自転車通学をするうちに、肥満は解消された。自発的に運動がしたくなってきた。

1/9ページ

最終更新:7/3(水) 7:53
東洋経済オンライン

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事