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米国のジャーナリズムは「死」を迎えてなどいない。

7/1(月) 19:13配信

WIRED.jp

2019年に入ってから、米国では大手デジタルメディアの米BuzzFeed、米HuffPost、ヴァイス・メディアが相次いで人員削減を発表し、実力ある多くのジャーナリストが職を失った。

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すぐに非難の矛先は、メディア時代の嫌われ者の代表とも言えるフェイスブックやグーグルに向けられ、民主主義の危機が叫ばれた。誰よりもスマートで革新的なデジタルジャーナリストたちが食べていけないのであれば、昔ながらの新聞に望みなどあるのだろうか。

ジャーナリズムは昔から「客観的」だったのか?

多くの人は、民主主義の健全さとジャーナリズムの健全さとの間には、切っても切れないつながりがあると考えている。後者が成り立たなければ、前者もすぐにそれに続くことになるだろうというのだ。

しかし、これは奇妙な考え方と言える。

仮に、ベンジャミン・フランクリンやサミュエル・アダムズといった民主主義の立役者たちを現代に蘇らせることができたとしよう。ともに新聞記者だったふたりは、ファクトチェックや両論併記に熱心で「客観性」を主張する現代の報道エコシステムを見て、それをジャーナリズムだとは認識しないだろう。

フランクリンは「Silence Dogood」や「Alice Addertongue」など、少なくとも十数のペンネームを使って記事を書いていた。それに、いち早く記事横に広告を載せはじめた人物でもある。

一方のアダムズ(通称「Vindex the Avenger」「Philo Patriae」など)は、過激な反英新聞『Boston Gazette』の編集者で、ボストン茶会事件にもひと役買った人物だ。ボストン茶会事件は、英国の政策に不満をもった急進派たちが、「茶税を払うくらいなら捨ててしまえ」と、貨物船に積んであった茶をボストン湾に投棄した事件である。アダムズは翌日に、この大事件を堂々と報じていた。

「フランクリン2.0」が考えるだろうこと

フランクリンもアダムズも、報道における「客観性」などという概念はもっていなかっただろうし、そんなものは何の役にも立たないと考えたのではないだろうか(儲けにならないと思った可能性も高いが、それについては後述したい)。

一方、アメリカ合衆国建国の父ふたりは、「Daily Kos」(強い党派色を漂わせたニュース・政治ブログ)や政治誌『ナショナル・レヴュー』、Twitterなどについては、すぐにジャーナリズムと認めることだろう。

生き返ったフランクリンは、きっと『ワシントン・ポスト』紙の記者になる道よりも、Twitterで大勢のフォロワーをもつ匿名アカウントをつくり、政敵のアカウントの挑発に精を出す道を選ぶ。あるいは、ベン・シャピロが右派ニュースサイト「デイリー・ワイヤー」を立ち上げたように、自分を中心に据えたパルチザンメディアを構築するかもしれない。ときには党派色弱めの政治メディア「ポリティコ」に寄稿したり、「la Chapo Trap House」「Pod Save America」といったポッドキャストで政治談義に花を咲かせたりもするだろう。

フランクリン2.0ならきっとこう言う。「ジャーナリズムが滅びそうだって? わたしが生きていた時代と同じくらい花盛りじゃないか」と。

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最終更新:7/1(月) 19:13
WIRED.jp

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