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唯一無二ビエルサ戦術の“象徴” クレスポ、アイマール、ソリン

7/3(水) 20:47配信

footballista

最新戦術用語で読み解くレジェンドの凄み #3

過去から現在に至るまで、サッカーの歴史を作り上げてきたレジェンドたち。観る者の想像を凌駕するプレーで記憶に刻まれる名手の凄みを、日々アップデートされる現代戦術の観点からあらためて読み解く。

リーガ公式Twitterが公開したバレンシア時代のアイマールのハットトリック動画

第3回は、アルゼンチンのエルナン・クレスポ、パブロ・アイマール、ファン・パブロ・ソリン。彼らが代表で同時期にプレーした時の指揮官であり、ジョセップ・グアルディオラをはじめ現在の戦術シーンを牽引する指揮官に多大な影響を与えている“エル・ロコ”ことマルセロ・ビエルサ独特の戦術を通して、3選手のスペシャリティを回顧する。

文 西部謙司

アイマールに見る、ビエルサ派におけるエンガンチェ

 アルゼンチンのサッカーは2つの顔を持っている。かつてはメノッティ派、ビラルド派と呼ばれていた。

 1978年ワールドカップでアルゼンチンを初優勝に導いたセサル・ルイス・メノッティ監督は攻撃型のプレースタイルだった。一方、1986年に優勝したカルロス・ビラルド監督のアルゼンチンは守備型である。どちらかと言うとビラルド派の方がアルゼンチン本来のスタイルで、メノッティが自国開催のワールドカップで軌道修正しているのだが、メノッティ監督に言わせると「アルゼンチン本来の姿への復帰」らしい。どちらが本来の姿なのかよくわからない、本家vs元祖みたいな構図になっていた気がする。

 そのメノッティ派vsビラルド派に終止符を打ったのが、第3派閥のビエルサ派だ。

 マルセロ・ビエルサ監督のプレースタイルは、メノッティ派のアグレッシブさと冒険心を持ちながら、ビラルド派の堅守と緻密さも備えていた。ビエルサ自身はワールドカップで優勝していない(2002年のアルゼンチン代表を率いたがGS敗退)。タイトルもニューウェルスで1度だけ。しかし、卓越した指導理論とあふれる情熱、さらに何といってもアルゼンチンの2つの顔を統合したことで、ビエルサ派は多くの指導者たちに影響を与えている。

 パブロ・アイマール、フアン・パブロ・ソリン、エルナン・クレスポの3人は、ビエルサがアルゼンチン代表を率いていた時期とピークが重なっている。3人ともリーベルプレートの出身でもある。

 アイマールはリーベルからスペインのバレンシアに移籍し、そこでの活躍が印象的だった。170cmの小柄な“エンガンチェ”だ。いわゆるトップ下、中盤と前線の中間に位置してラストパスやフィニッシュを担当する10番、アルゼンチンサッカーの花形ポジションである。ラファエル・ベニテス監督のバレンシアにこのポジションはなかったのだが、アイマールは直訴してエンガンチェに収まり、リーガエスパニョーラ連覇に貢献した。

 くるりとカールした髪の毛、童顔、軽量級らしい素早いフットワークと高い技術、抜群の創造性で観客を魅了し、遠く日本でもアイドル的な容姿もあってとても人気があった。

 アイマールはビエルサ監督下のアルゼンチン代表メンバーではあったが、2002年ワールドカップの時はファン・セバスティアン・ベロンの控えという立場だった。ビエルサの[3-4-3]システムではエンガンチェのポジションが確保されていたにもかかわらず、アイマールはファーストチョイスではなかったのだ。

 この時期のアルゼンチンにはベロン、アイマールの他にフアン・ロマン・リケルメ、マルセロ・ガジャルドもいて、ウイングで起用されていたアリエル・オルテガを含めれば5人の優れたエンガンチェがいたことになる。ビエルサ監督はベロンをレギュラーに使い、アイマールが2番手。ガジャルドは02年のメンバーに入ったが、最もエンガンチェ的なリケルメは外れている。チームの細部までデザインしようとするビエルサ監督にとって、自らの眼と勘でプレーする古典的な10番は使い勝手が悪かったのだろう。

 ビエルサを代表監督に招へいしたのは当時GMだったホセ・ペケルマンだ。タクシーの運転手もしていたという苦労人は協会に強化プランを提示して認められ、育成年代の指導を任されて大きな成果を上げた。協会はペケルマンを代表監督に指名するつもりだったが、ペケルマンが固辞して代わりにビエルサを推薦した。

 ペケルマンはビエルサを非常に信頼していたようで、2002年ワールドカップでGS敗退に終わったにもかかわらず、引き続きビエルサに指揮を執らせた。ただ、ペケルマンとビエルサはあまり共通点がないようにも思える。

 1995年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)で、アイマールはベストイレブンに選出される活躍で優勝に貢献している。リケルメも同時にプレーしていた。アイマールとリケルメ、この世代を代表する2人のエンガンチェを平気で併用していたわけだ。ビエルサが代表監督を辞任した後、ペケルマンが監督に就任して2006年ドイツワールドカップを戦っている。この時のチームはリケルメが中心だった。個と全体のバランスについて、ビエルサとペケルマンはかなり考え方が違っていたのではないか。違うのに、ペケルマンが非常に高くビエルサを評価していたというところが興味深い。

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最終更新:7/3(水) 20:47
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