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映画『COLD WAR あの歌、2つの心』のこと

7/5(金) 18:00配信

otocoto

3つの曲の歌い分けと演奏の違い

彼女の歌のフレーズに対してまるでひとことずつ答えていくように親密にコードを重ね、そのタッチの一つ一つがエモーショナルな「Dwa Serduzka」ではヴィクトルのピアノソロはない。パリでの活動後、ピアノのスタイルもタッチも変わっていて、そもそも音色が別物になり、自身のピアノを歌と並走させるように奏でる「Deux Coeurs」ではいかにもなモダンジャズ・スタイルの典型的なソロパートがあり、ピアノソロは最も目立つ場所に配置される。

そして「Loin de toi」では音色は軽くなりピアノの存在は薄れ、歌に対する伴奏というよりはホーンとの関係性の中でアンサンブルの一部になり管楽器に埋もれている。マイルス・デイヴィスやシネジャズの模倣のようないかにも「フランスっぽい」アレンジのバラードでもある。「Loin de toi」はズーラのフランス・デビュー作として発表されるが、まさにレコード=商品のための「仕事」のような演奏に聴こえる。ヴィクトルに関しては、アレンジから、ピアノのスタイル、音色や歌との関係性まで全てが変わり続けている。

ズーラはその歌詞の違いに困惑し、フランス語ではその情感をフルに発揮できないながらも、彼女のそのスタイルには揺るぎがない。「Dwa Serduzka」では慣れ親しんだポーランド語の詞で歌う際の発音や発声がもたらす情感の美しさが別次元だが、それでもフランス語による2曲でさえも、自分のスタイルで丁寧に歌いきっていて、彼女自身の歌唱スタイルへのこだわりだけでなく、ひとりの人間としての芯の強さが歌を通しても表現されている。彼女がデビュー作の「Loin de toi」に満足していないのはヴィクトルとの関係性だけの問題ではなく、あらゆる意味での完成度の低さゆえだろう。彼女は売るために自身を曲げるような「商品」を求めていない。それは長年、東側ポーランドの歌劇団で上から強いられて望まない音楽を歌ってきた経験から、「縛られない表現」の美しさを知っているから、とも言えるのかもしれない。

この二人の違いやそれぞれの変化がそのままストーリーにも直結している。つまり、音楽はもうひとりの登場人物とも言っていいほどに、繊細に物語を「演じている」のだ。

ちなみにここでのジャズに関してもう少し書いておくと、ヴィクトル以外のフランスのミュージシャンはいかにもアメリカ経由のハードバップ的な演奏をしている。ただ、ショパンを生んだクラシック大国でクラシック・ピアニスト大国でもあるポーランド出身のヴィクトルのピアノはビル・エヴァンスを思わせるクラシックを通過したモーダルなジャズのスタイルで、実に「ヨーロッパ的」なジャズ・ピアニストのものだ。フランスで映画に対して音楽をつける仕事をしている彼に関してもロマン・ポランスキー監督の名作群の音楽を手掛けたジャズ・ピアニストのクシシュトフ・コメダを想起させる。ある場面でヴィクトルが感情をあらわにして、即興演奏で弾きまくるシーンがある。そこで弾かれるピアノのスタイルもブルースやゴスペルなどが出てくるアメリカのミュージシャンのそれとはまったく違うもので、ヨーロッパのクラシックや現代音楽を経由したフリージャズを思わせるもの。それはまさに1960年代半ばにポーランドの国営レーベルのMUZAがリリースしていたPolish Jazzシリーズの作品群そのものだ。

ここでの音楽はジャズひとつをとっても、ポーランド的だったり、アメリカ的だったり、フランス的だったり、あらゆるディテールをどこまでも丁寧に突き詰めてある。もうひとりの主役のような音楽への執念とも言えるこだわりがこの映画を特別にしているのだ。新しい音楽映画の傑作が生まれたと言っても過言ではないだろう。

文/柳樂光隆

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最終更新:7/6(土) 13:50
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