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ダビデの敵の巨人兵ゴリアテも、ペリシテ人のルーツついに解明

7/5(金) 19:29配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

100年続いた論争ついに決着か、遺伝子分析で

 古代ペリシテ人のDNAが初めて分析され、旧約聖書に登場するイスラエル人最大の敵とも言える民族のルーツとその末路について、かつてない発見があった。7月3日付けの学術誌「Science Advances」誌に論文が発表された。

ギャラリー:ペリシテ人の古代都市を発掘 写真6点

 イスラエル人であるヘブライ語聖書(旧約聖書)の作者たちは、ペリシテ人は自分たちとは違うと断言している。ヘブライ語聖書の数カ所で、この「割礼を受けていない」人々は「カフトルの地(クレタ島)」からやってきて、現在のイスラエル南部とガザ地区の沿岸部を支配したとされる。彼らは隣りの地に住むイスラエル人と戦争をし、イスラエル人が大切にしている「契約の箱」(モーセの十戒が刻まれた石板を納めた箱、「アーク」とも)を奪うことさえした。

 聖書に登場するペリシテ人には、のちにイスラエルの王となる少年ダビデに倒された巨人兵ゴリアテや、イスラエルの怪力の英雄サムソンの髪の毛を切って力を奪った女デリラがいる。

 現代の考古学者も、ペリシテ人はイスラエル周辺の民族とは違っていたと考えている。彼らが紀元前12世紀初頭によそからやってきたことは、古代ギリシャ風の陶器や、セム文字ではなくエーゲ文字を使用していたこと、豚肉を食べていたことなどからわかる。

 多くの研究者は、ペリシテ人を「海の民」の活動と結びつけている。海の民は謎の民族連合で、エジプトなどの歴史的文献によると、紀元前13世紀から前12世紀にかけての青銅器時代末期に地中海東岸に大きな被害をもたらしたという。

「ついに人々の移動をとらえた」

 今回の研究は、2016年にイスラエル南岸のペリシテ人の古代都市アシュケロンで、かつてない規模の共同墓地が発見されたのを機に始まった。分析の結果は、ペリシテ人がよその地域の出身であることを裏づけているように見えるが、驚くほど短い間に評判の悪いよそ者たちが地元の人々と混血して溶け込んでいったことも明らかにした。

 研究で分析したDNAは、アシュケロンの遺跡で出土した3つの時代にわたる10体分の遺骨から抽出したものだ。3つの時代とは、ペリシテ人が到着する以前の「青銅器時代中期/後期」(紀元前1650~前1200年)、ペリシテ人がやってきた直後の「鉄器時代初期」(紀元前1100年代後期)、そして、ペリシテ人が共同墓地に埋葬された「鉄器時代後期」(紀元前10~前9世紀)である。

 研究者によると、鉄器時代初期の4点のDNAサンプル(いずれもペリシテ人の家の地下に埋葬された幼児のもの)の遺伝学的特徴のうち、「ヨーロッパ系の祖先」に由来する割合は約14%で、ペリシテ人がやってくる前の青銅器時代のサンプルにおける割合(2~9%)よりも高かった。この「ヨーロッパ系の祖先」がどこから来たかについては決定的な証拠はまだないものの、論文によると、ギリシャ本土とクレタ島、イタリアのサルデーニャ島、そしてイベリア半島の可能性が高いという。

 今回の論文の共著者で、アシュケロンの発掘調査を行うレオン・レビー調査隊を率いるダニエル・マスター氏は、この結果について、西からやってきたペリシテ人が紀元前12世紀にアシュケロンに移住したとする理論を裏づける「直接的な証拠」であると主張する。

「この結果は、私たちが持っているエジプトやその他の文献と合致しており、考古学的資料とも一致しています」

 研究者たちをさらに驚かせたのは、この「ヨーロッパの痕跡」がすぐに消えてしまったことだった。幼児が埋葬された鉄器時代初期からわずか数世紀後に埋葬されたペリシテ人の遺伝学的特徴は、ペリシテ人が現れる前にこの地域に住んでいた人々と非常によく似ていた。

「私たちはついに南欧からアシュケロンへの、人々の移動をとらえたのです」とマックス・プランク人類史研究所の考古遺伝学者で、今回の論文の共著者でもあるミハル・フェルドマン氏は言う。「しかも、その遺伝学的特徴は200年もしないうちに消えてしまいました。おそらく、ペリシテ人が地元の人々と結婚して、遺伝子が集団内で希釈されたのでしょう」

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