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個人がドキュメンタリー映画で身内の人生を描ける時代【松崎健夫の映画ビジネス考】

7/6(土) 18:00配信

FINDERS

「ドキュメンタリーは、その人の人生まで引き受けることはできない」

これは、筆者が大学院時代に受けた是枝裕和監督の講義で印象に残った言葉だ。ドキュメンタリーとは、実在の人物そのままや、現実の出来事・状況を記録する映画全般を指す。例えば、ある人物を取り上げる場合。まず、製作側が何らかの社会問題に対する対象として取材対象者にアプローチをかける。そして、取材を重ねることで、問題のメカニズムを解き明かしたり、問題点を告発するといった性格を持っている。

ここで問題となるのは「いつまで取材を続けるのか?」という点。フィクションであれば、物語のある着地点を見つけて映画を終わらせることができる。しかし、ドキュメンタリーの場合はそうはいかない。なぜならば、取材対象者が撮影中に急逝しない限り、その人の人生はその後も続いてゆくからである。取材対象者が直面している社会問題は映画の中で指摘できるが、取材対象者のその後の人生にまで責任を持つことは不可能だ。この、ドキュメンタリー作品に何らかの結末を提示しなければならないことに対するジレンマを、ドキュメンタリー番組出身である是枝裕和監督は、前述の言葉で表現していたのだった。

そんな性格を持つドキュメンタリー映画に対して、“人生を引き受けてみよう”と抗う姿勢を見せる2本の作品が同時期に公開される。今回は、「個人がドキュメンタリー映画で身内の人生を描ける時代」と題して、“ドキュメンタリー映画の今”について考えてゆく。

<映画>はドキュメンタリー的なものとして始まった

<ドキュメンタリー>という言葉は、フランス語で“紀行映画”の意味として用いられた「documentaire」に由来する。ドキュメンタリー映画の歴史は古く、1922年に“ドキュメンタリー映画の父”と呼ばれるロバート・フラハティ監督が、カナダ北部の極北で暮らすイヌイット族一家の姿を捉えた『極北のナヌーク』(22)を先駆的な作品だと評価されている。そもそも<映画の誕生>とされるリュミエール兄弟の作品は、列車が駅のホームに入ってくる様子や、工場の出口から労働者たちが出てくる様子を数十秒に渡って撮影したものだった。つまり<映画>というものは、ドキュメンタリー的なものとして始まったのだと言って過言ではないのだ。その後、事象を記録する“記録映画”としてドキュメンタリーは発達。やがて、<動物映画>や<ニュース映画>などにジャンルが分岐してゆく中で、社会的メッセージを重視しながら人々の生活・日常からドラマを作り出してゆく<ドキュメンタリー映画>に発展していったという経緯がある。戦前の日本でも、<文化映画>や<教育映画>といった分野の作品が製作されていたのだが、これらの作品は映画会社の“文化映画部”や下請けの製作会社が、学校や公共施設での上映を意図して制作したもの。つまり、映画館での上映は意図しないものの、主に上映フィルムの貸し出しによって製作費を回収するというビジネスモデルを構築した上で作られていたのだ。

戦後も岩波映画製作所などが<文化映画>や<教育映画>を製作。そこからドキュメンタリー映画の秀作を世に送り出すことになる、羽仁進監督や土本典昭監督といった人材を輩出するという役割を担っていた。ここで重要なのは、「ドキュメンタリー映画にはお金がかかる」ということ。フィルムで映画を撮影していた時代、もちろんドキュメンタリー映画も同じようにフィルムで撮影されていた。しかも、いつ決定的な瞬間が撮影できるのかがわからないため、膨大な撮影フィルムが必要となる。ドキュメンタリー映画は、巨大なセットや絢爛豪華な衣装、スターに対する高額なギャラを必要としないものの、それなりの製作費を必要としていたのだ。それゆえ、ある程度の予算が回収できる興行的な裏付けが、作品のテーマにも求められていたのである。70年代以降になると、個人でドキュメンタリー映画を製作する映画監督、つまり<独立系>と呼ばれるインディーズでドキュメンタリー映画を製作する映画監督も登場。例えば、原一男監督は、1972年に「疾走プロダクション」を設立。アナーキスト・奥崎謙三の行動を追った『ゆきゆきて、神軍』(87)を、渋谷ユーロスペースでの単館上映ながら5400万円の興行収入を記録するヒットに導き、日本映画監督協会新人賞など国内外で数々の賞に輝いた。

フィクションである劇映画の撮影は、通常、数週間から長くても数カ月。しかし、ドキュメンタリー映画の撮影には「終わりが見えない」という違いがある。他人の人生の一部を切り取ることでしか成立しないドキュメンタリー映画は、どこかで“終わり”を模索せざるを得ない。前述の是枝裕和監督の言葉の意味は、そこにある。そして、終わりの見えない撮影は、製作費がかさみ続けるものでもある。『ゆきゆきて、神軍』のようなヒットは当時として特異な例で、製作がいつまで続くのかがわからないドキュメンタリー映画は、上映する映画館を製作前から確保するのが難しいという面もある。つまり、映画が完成しない限り、上映の見込みも立たず(もちろん上映館が見つからなければお蔵入りしてしまう)、撮影中の監督は収入源がないままの生活を延々と送らなければならないという現実がある。そういう意味で、ドキュメンタリー映画の製作はリスクが高かったのである。

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最終更新:7/6(土) 18:00
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