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イスラム勢力が台頭するアフリカ、対抗するバイクの自衛団

7/8(月) 7:11配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

ナショナル ジオグラフィック誌で活躍するフランス人写真家パスカル・メートルが、イスラム勢力の台頭で衝突の絶えないアフリカ、マリ中部を取材した。

ギャラリー:イスラム過激派vs自衛団 マリ紛争の現場 写真15点

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 マリの首都バマコから中部の街モプティへの道を、これまで私は何度も行き来していたが、2019年初めに訪れたときは様子が違った。

 バマコを出て500キロ弱の間に通過する街はいずれも見慣れた活気ある風景だったが、最後の150キロほどはほとんど人の姿がない。新しい建物が目に入ったが、軍の前哨基地だった。

 マリ中部のこの一帯は、情勢が悪化している。ここではイスラム過激派の活動が今も活発だ。2017年にニジェールで米軍兵士4人を殺害したイスラム武装勢力も、ここマリ中部を拠点にしていた。武装勢力は現地のフラニ族から人を募ったことで、バンバラ族とドゴン族が自衛結社を組織し、民族間抗争に発展している。

 運転手は時間を心配していた。午後6時以降、都市や村々の間を移動するのは厳しく禁じられている。ようやく、モプティのすぐ東にある人口約4万人の町、セバレに到着した。セキュリティのしっかりした「ホテル・フランドル」が、2週間の滞在の拠点となる。

 翌日、私は衝突が多発している街を訪れた。バンディアガラはドゴン族が暮らす土地で、崖にしがみつくようにたくさんの集落がある。私が着くやいなや、イスラム武装勢力に加わったフラニ族がドゴン族に対して行った虐殺について、村人たちが話し始めた。攻撃に対してどう自衛するかについても説明してくれた。あるレストランでは、2013年以前には毎日150人の旅行者が昼食を取りに来たのに、今や1人も来ないという話を聞いた。

 この地域が紛争に苦しみ始めたのは、マリの北半分に住むトゥアレグ族が分離独立を目指した、2012年の紛争以降のことだ。だが、すぐにイスラム勢力がその領域を乗っ取り、シャリーア(イスラム法)を強制した。2013年、乗っ取られた地域の奪回を支援するためにフランス軍が到着し、イスラム勢力は制圧した都市から排除された。

 私は、自衛のために伝統的な狩人が組織する秘密結社「ドゾ」のメンバーに会えるよう手配した。多くの村にドゾがあり、今ではその一部が武装して民兵のように組織されている。2019年3月23日には、ドゾの1つ「ダン・ナ・アンバサグー」(Dan Na Ambassagou)が、オゴソグーの村でフラニ族150人近くを殺したという話も聞いた。

 滞在中、私は日程の大半をホテルで過ごし、取材の準備をしていた。写真撮影のときだけ外に出て、すぐにホテルに戻った。状況は非常に緊張している。アルカイダとつながりがあるイスラム勢力「ジャマーア・ヌスラ・アル・イスラーム・ワル・ムスリミーン(イスラムとムスリムの支援のための集団)」が、モプティ、ジェンネ、セバレ周辺で活動している。欧米のジャーナリスト、特にフランス人は格好の人質にされる。姿を見られず、極めて慎重にしていることが最善の策だ。

 次の滞在地、ジェンネを日曜の夜に訪ねた。「泥のモスク」に見られるような、美しい日干しれんが建築がある町だ。月曜の朝に大きな市場が立つため、町中の人がこのモスクに押し寄せる。悲しいことに、過激派が攻撃してくるのも、決まってこの日の終わりごろだ。伝統を守るドゾの狩人たちも、市場の周辺を歩き回っている。

 イスラム勢力は、この町の北約10キロのところにいる。私は、双方の暴力の犠牲者――フラニ族のイスラム勢力に攻撃された人、ドゾの狩人に攻撃された人――に会った。被害者を保護しているグループの助けを借り、ドゴン族の若い女性数人に会うことができた。セバレさん、ファティマさん、アイサトゥーさん、ファンタさんだ。彼女たちは、生きることにうんざりだと口にした。バスに乗っていたところをイスラム勢力に拉致され、性奴隷にされたのだ。

 足を延ばしてドゾの狩人に会うため、私たちは町の北部へと車を走らせたが、ガイドが道に迷ってしまった。普段、彼らはオートバイで移動しており、車は使わないからだ。非常に危険な地帯のため、車内の緊張が高まった。

 ようやく目的の村に着いた。ドゾの狩人たちはオートバイに乗り、銃で武装し、カラシニコフまで持っていた。映画「イージー・ライダー」のワンシーンのようだった。彼らがなぜ進んで写真に撮られたがるのか、私には不思議だったが、共有したい何かがあったに違いない。ここのドゾを率いるシナリー・マイガさんは、軍は自分たちを守ってくれないのだから、自ら身を守るしかないと私に話した。私が着く前日、近くの村がイスラム勢力の攻撃に遭った。軍は動かなかったため、マイガさんや部下の狩人たちが介入したと言う。

 数週間後、私はバルハン作戦に同行取材した。マリやニジェールなど西アフリカ5カ国に駐留するフランス兵4500人が参加する作戦だ。

 ニジェールとの国境に近いガオの町からヘリコプターに乗り込み、私たちはニジェール川の上を飛んだ。雄大な川は、砂漠を蛇行して流れている。2時間にわたる作戦飛行の間、扉のそばにいる射撃手は引き金に指をかけ、動くものは何だろうと見逃さなかった。こうしたフライトのおかげで、私はフランス軍がテロリスト集団との戦いで直面する厳しい条件を理解できた。

 翌日、私は補給の車両隊と共にメナカの基地へ向けて出発した。車両隊は遅く、何度も攻撃に遭っていた。出発から3時間後、基地への突入を狙った自爆車両の攻撃を受けた。車は止まって爆発し、次いでオートバイに乗った15人がフランス軍に向けて発砲した。戦闘機が1機上空を飛んでいたのを恐れて、武装勢力は逃げ去ったが、フランス兵4人が負傷。そのうち2人はかなりの重傷だった。

 軍服の兵士たちが民間人の中にいるのは、いつ見ても奇妙に感じる。平和を願っている国には釣り合わない要素だ。私が前回3月に訪問して以来、フランス兵3人が作戦で死亡した。軍医1人と奇襲部隊2人が、人質となっている4人(フランス人2人、米国人1人、韓国人1人)の救出任務中に命を落とした。

 平和への道は長く、困難は今後も続きそうだ。

文=PASCAL MAITRE/訳=高野夏美

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