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【1969年日本グランプリの記憶04】ポルシェの最新鋭マシン、「917」のワークス体制での参戦に騒然

7/9(火) 18:30配信

Webモーターマガジン

ポルシェと日本グランプリは深い関係にあった

1968年と1969年の日本グランプリで、プライベートレーシングチームの草分けとして日産、トヨタのワークスチームと渡り合い、ビッグマシンの時代を演出したのが滝進太郎が率いるタキ・レーシング・オーガニゼーションである。

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とくに1969年日本グランプリでは同年の世界メイクス選手権を初制覇したばかりのポルシェワークスと提携、選手権獲得の主戦だった908と最新鋭マシンの917を参戦させて日産/トヨタ陣営を震撼させた。

ポルシェと日本グランプリの関わりは古く、鈴鹿サーキットで開催された1963年の第1回日本グランプリに遡る。計10カテゴリーが開催されたこのレースに、ポルシェからカレラ2を筆頭に3台の356が出場した。

翌1964年の第2回日本グランプリには式場壮吉が904を輸入して、生沢徹駆るプリンス・スカイラインと伝説の名勝負を繰り広げた。

そして富士に舞台を移した1966年の第3回日本グランプリには、当時のインポーターだった三和(ミツワ)自動車が、輸入を開始して間もない911のプロモーションのために、ディーラーワークスチームを仕立ててGTレースに参戦し、3位に入っている。メインのグランプリには、滝の依頼で三和自動車が輸入を担当した906(カレラ6)が参戦したが、プリンスR380軍団の前に敗れている。

翌1967年の第4回日本グランプリに必勝を期し三和自動車は2台の906を購入。酒井正が購入した1台とあわせてポルシェは3台体制で臨んだ。このうち、三和自動車の1台が生沢徹のドライブで日産R380を破って優勝。日本グランプリ優勝という栄冠を手に入れることになる。

インポーターとしては望外とも言えたこの大勝利を置き土産に、三和自動車はレースの表舞台から去り、1968年からはタキ・レーシング・オーガニゼーションのサポート役を務めることになる。

1968年の日本グランプリでは、タキ・レーシングが最新のポルシェ910やローラT70 Mk.IIIなどプロトタイプ5台を投入。排気量では日産、トヨタ、ローラのビッグマシンに劣るものの、信頼性の高さを発揮した2Lの910を駆った生沢が2位に入っている。

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最終更新:7/9(火) 18:30
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