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【1969年日本グランプリの記憶05】優勝を狙っていたいすゞ。日産やトヨタとは比べものにならない小規模部隊で大健闘

7/10(水) 18:30配信

Webモーターマガジン

総合優勝を狙う車両と研究開発のための車両、計4台で出走

1969年の日本グランプリにワークス参戦した日本メーカーは、日産とトヨタ以外にもあった。プロトタイプカー開発から退いていたいすゞが、突然、ミッドシッププロトタイプを投入する。しかもまったく構成の異なる2タイプ、計4台という陣容であった。

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いすゞが投入したプロトタイプカーのひとつは流麗なクローズドボディを持つ「ベレットR6」。ミッドシップカーの高速性能研究という名目で1969年日本グランプリの約1年前に開発をスタート。舟形鋼板式のシンプルなシャシに、エンジンはベレット/117クーペ用1.6L直4をドライサンプ化したものを搭載していた。研究開発が目的のため、スタイリングからシャシ、エンジンまでいすゞの自社製であった。

もうひとつ、オープンボディの「いすゞR7」は、「ベレットR6」の半年後にプロモーション目的で開発がスタート、優勝、総合成績での上位を狙うため5L シボレーV8エンジンを搭載した。急遽製作されたために2台は異なる仕様で、一台は「R6」をベースとした舟形鋼板式シャシを持ち、もう一台は元タキレーシングが所有していたローラT70 MkIIIをベースとし、当時最先端のツインチューブ式アルミモノコックを持っていた。

1969年日本グランプリに、ベレットR6 2台、いすゞR7 2台で臨んだいすゞは、5L シボレーV8を積むオープンプロトのいすゞR7 が、13位と15位で予選を通過、1.6L直4エンジンを積むベレットR6は19位と20位からの決勝スタートとなった。

決勝レースでは、R7勢はポルシェ908や910と競り合う位置にいたが、最終的には15、16位に終わっている。R6勢は同じクラスIIの優勝車であるロータス47GTに大差をつけられての18位、リタイアにとどまった。どちらも結果的にインパクトを残すには至らなかったが、いすゞにとってはこのレースがプロトタイプでの初戦、しかも異なる2種類のマシン計4台を日産やトヨタとは比べものにならない小規模部隊で開発・製作・参戦させたことを考えれば大健闘と言っていいだろう。

いすゞがベレットR6で培った成果は、グランプリ直後の東京モーターショーでお披露目されたミドシップスーパーカー「MX1600」で結実する(残念ながら市販化はされず)。その後も、いすゞワークスチームは細々とした形ながら1973年まで活動を続けた。

1969年の日本グランプリを戦ったドライバーのうち、R7を駆った津々見友彦、ベレットR6を駆った米村太刀夫、浅岡重輝はその後、自動車評論家としても活躍している。

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最終更新:7/10(水) 18:30
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