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<特別インタビュー> 「遠藤保仁と 少年時代のサッカー」後編

7/11(木) 16:11配信

ベースボール・マガジン社WEB

Jリーグで輝かしい実績を残しているガンバ大阪の遠藤保仁の原点に迫る。国内屈指のミッドフィルダーに上り詰めた男は、どのようにしてサッカーにのめり込み、現在に至るのか。時計の針を30年以上巻き戻し、少年時代を振り返ってもらった。その後編をお送りする。

<特別インタビュー> 「遠藤保仁と 少年時代のサッカー」前編

(出典:『ジュニアサッカークリニック2019』)

ワクワクした試合のある週末

――「試合展開を考える」ことに関連すると思いますが、お兄さんの試合映像を自宅でよく見ていたとも聞きました。
遠藤 小学校2、3年生の頃から兄の試合映像を見ていた気がします。また、10歳のときに開催されたイタリア・ワールドカップ(1990年開催)の映像を本当によく見ました。ゴール・シーンはもちろんですけど、「格好いいな、このパス」、「なんでこのキックはこんなにカーブするんだろう」と思いながらビデオを何度も巻き返して見ていました。もちろん当時は、サッカーの試合が見たいから見ていただけでしたけど、繰り返し見ることで映像が頭の中に残りましたし、自分がプレーするときに「あのまねをしてみよう」ということにもつながりました。自然に学んでいたとは言えるでしょう。

――当時、試合にはどのような思いで臨んでいましたか?
遠藤 練習より試合のほうが楽しいものでしたし、試合のある土日が楽しみで仕方ありませんでした。ワクワクしていましたし、「今日は何点取ろう!」とか思っていたほどです。

――小学生の頃は、ドリブラーだったそうですね。
遠藤 足が速いほうだったため、ドリブルもしていました。しかしドリブラーというより、いろいろとやっていました。1・5列目と言えるようなポジションでプレーしていたから得点も決めていましたし、アシストもしていました。フリー・キックも蹴っていました。

――中学生以降、スタイルが変化したのですか?
遠藤 中学入学当初は前目のポジションでプレーしていましたが、2年、3年とポジションが徐々に下がっていきました。3年の頃にはボランチとしてボールをさばいていました。中学3年生の頃にボランチという言葉が使われ始め、ポルトガル語で「かじ取り役」という意味のポジションだと知ったのも当時です。チームにおいて重要な役割を担うことを理解し、同時に「しっくりくるポジションだ」とも感じていました。アシストやスルーパスの楽しさを覚えたのが中学時代でした。

――続いて、息子さんの話を聞かせてください。現在、中学生の息子さんもサッカーをしていますが、これまでどのような接し方をしてきたのですか?
遠藤 ボールを一緒に蹴ったことはありますが、特にアドバイスしたことはありません。「こうして蹴れ」なども言ったことはありません。ただし、ボールを蹴り合うときに息子の足元にボールをあまり返さない、ということはしていました。

――どのような狙いがあったのですか?
遠藤 「足元ばかりにボールを返すとうまくならない」と考えていたのです。足元にボールを返すと、「ただ蹴ればいい」という感じになりがちなので、それを避けるためにわざとボールを足元からずらしていたのです。すると、自然に体を動かしながら「どうやって止めようか」ということを考えて学ぶと思ったのです。もちろん、息子にそうした狙いを言ったことはありません。

 しかし、妻も僕も「なにがなんでも息子にプロになってほしい」と思って育てているわけではありません。「楽しめればいい」という感じです。

――息子さんは小学生のときから優れたドリブラーとして活躍していました。
遠藤 でも最近は、ドリブラーではなくパサーになりつつあると感じています。僕が特にドリブルの練習をさせたこともありませんし、やや足が速かったからジュニア年代ではドリブルが光ったのかもしれません。なんとなくですが、僕の小さい頃に似ている感じもします。徐々に、パスが好きになっていくようなところなどです。

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最終更新:7/12(金) 12:34
ベースボール・マガジン社WEB

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