ここから本文です

西武黄金時代の幕開けを告げた最後のプレーオフ(1982年10月14日、日本ハム×西武)/プロ野球1980年代の名勝負

7/12(金) 15:56配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

【画像】スターがずらり!西武黄金時代を彩った選手たち

初進出の西武vs.前年Vの日本ハム

 近年はペナントレースの全日程終了後に行われるクライマックスシリーズも定着。勝率1位ではなくても2位、3位のチームが優勝する“下剋上”も見どころとなっているが、こうしたプレーオフは1980年代のパ・リーグにも存在した。ただしルールは異なり、シーズン130試合を前期、後期に分けて、前期と後期の優勝チームによる頂上決戦。導入された73年から、野村克也監督の率いる南海が前期の覇者となりながらも後期は1勝もできなかった阪急とのプレーオフを制する“死んだふり優勝”などのドラマがあった。そして、プレーオフ導入10年目となった82年。結果的に最後のプレーオフとなったが、その頂上決戦は、西武が黄金時代への第一歩を踏み出す舞台となった。

 チームが西武となり、埼玉の所沢へ移転して4年目。九州時代の低迷も尾を引き、1年目はプロ野球記録に並ぶ開幕から12連敗と最悪の船出で前期は最下位、後期は5位でシーズン通算では最下位という最悪のスタートを切ったが、翌80年の後期には早くも優勝争いに顔を出す。

 続く81年には通算勝率5割を突破。ここで西武は土台づくりから勝負に舵を切った。“寝業師”根本陸夫監督はフロントに転じ、“最後の補強”として広岡達朗監督を招聘。広岡監督は生活面からチームを鍛えていく。酒、タバコ、麻雀は禁止。食事は玄米。人呼んで“広岡式海軍野球”にベテラン選手らはソッポを向いたが、これも広岡監督の術中だったのか。東尾修や田淵幸一、大田卓司らベテランとの間には溝ができたが、就任1年目の前期から渇望していた優勝が見えてくると、がぜん顔色が変わってきた。

 そこで広岡監督は重要な役割を彼らに与える。このプレーオフの相手は、絶対的クローザーの江夏豊を擁する日本ハム。そこで、東尾は勝負どころのリリーフ、田淵は「四番・指名打者」、そして大田は江夏を攻略する切り札に。それぞれの持ち場で3人は躍動する。第1戦はバント攻めで江夏を翻弄、第2戦は大田が江夏を打って西武が2連勝。第3戦は日本ハムに惜敗して迎えた第4戦だった。舞台は敵地の後楽園球場。これまでの展開とは一転、勝負は空中戦となった。

1/2ページ

最終更新:7/12(金) 16:26
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

野球専門誌『週刊ベースボール』でしか読めない人気連載をはじめ、プロ野球ファン必見のコンテンツをご覧いただけます。

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事