ここから本文です

パフォーマンス理論 その17 ピーキングについて

7/12(金) 7:08配信

Japan In-depth

【まとめ】

ピーキングとは陸上競技の様に一発勝負のパフォーマンスを要求される競技において、本番にピークを合わせる技術のことである。
各競技特性によりピーキングの定義は異なる。
ピーキングの技術は試行錯誤を繰り返し自分の身体の反応を理解することで向上する。

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=46734 のサイトでお読みください。】

年間を通してリーグ戦を行う種目と違い、陸上競技は五輪や世界陸上など、一試合の結果が評価を分ける。このような一年に一度の試合での成果が評価に影響するような競技には、本番にピークを合わせるピーキングと呼ばれる技術がある。例えば私で言えば1ヶ月前まで同じ調子だったとしても、ピーキングがうまくいったときは48″00周辺で、うまくいかなければ48″40周辺の違いがあったと思っている。この二つの間にはメダルが取れるタイムと、準決勝で落ちるかまたは決勝で8位ぐらいの差がある。競技レベルが上がれば上がるほど、選手同士の競技力の差が小さくなるのでピーキングは重要な技術になる。

ピーキングの原理はどうなっているのか。人体には与えられた刺激に対し、適応しようとする性質がある。長い距離を走れば長い距離を走ることに適応し、重たいものを持ち上げれば重たいものを持ち上げることに適応する。刺激が入った後は一時的に疲労しパフォーマンスは落ちるが、その後リバウンドし刺激を入れる前よりも適応する。筋トレを行なったと筋肉が太くなるのも同じ原理だ。ピーキングとはこの刺激と回復の揺らぎを利用して試合の瞬間に最も競技に適応した状態を作り出す技術である。一方でたった一つの要素で構成されているほどスポーツはシンプルではない。ハードルで言えば、速く走れる能力、一定時間速度を維持する能力、ハードル技術などがある。だからピーキングのプロセスでどこにいつどんな刺激を入れるのかによって結果は変わってくる。またシンプルに試合と同じ刺激を入れればいいと考えがちだが、ピーキングには当然精神面も含まれていて試合が続けば精神は疲弊する。本番で心身ともにフレッシュな状態で挑めなければ力は出しきれない。

競技によってピーキングのやり方はだいぶ変わってくる。陸上競技はプライオメトリック的な着地の瞬間の衝撃がある競技なので一回の試技のダメージが大きい。だからピーキングのプロセスでは回復のために休養を増やし、揺らぎを大きくせざるを得ない。一方で、水泳などの着地のインパクトがない競技は主観的には辛くてもプライオメトリック系ではないので身体へのダメージがそれほど大きくなく(おそらく選手が複数メダルを取れるのもこの競技特性のため)かつ有酸素が重要なので試合前まで練習を続けている印象がある。陸上でも有酸素系の長距離は基本的に休養が少ない。技術系競技は繊細さから感覚がわからなくなる時間を置きたくないだろうし、チーム競技はチームプレイがあるのでそれを前提に考えると思う。このように各競技競技特性により、ピークパフォーマンスの定義が違うのでピーキングの考え方も違う。

走りは能動的に筋肉を動かしているわけではなく、着地の瞬間に筋肉を固めることで足がゴムのようになり、反発して走る。よく選手が試合前にちょうどいい張りがあるといいというが、これは張りがあることにより反発がよくなる感覚があるからだ。反対に筋肉が緩みすぎているとこの反発が起こらないのでバネがない状態になってしまい速く走れない。マッサージを嫌がる選手が時々いるが、このちょうどいい筋肉の張りがなくなってしまうことを恐れているからだ。また、練習をしすぎて張りがありすぎてもそれはそれで古びたゴムのようなものでうまく反発できないし怪我の恐れもある。私にとってのピーキングとは、シンプルに言えば筋肉の張力の調整だった。良い状態の筋肉は、張りがある硬いゴムのような状態だった。

ではどのようなトレーニングを行えば筋肉に張りが出るのか。広義でのピーキングは1年単位で行われる。1年間で言えばだいたい以下のような分類だった。

10-1月 トレーニング期
2-4月 移行期
5-8月 シーズン
9月 休み

だった。特に重要だったのはトレーニング期で、ここでしっかりとトレーニングが詰めていればあとは調整をするだけだった。反対にいうとトレーニング期がしっかり走れていないと、練習をしながら調整をするという二つのことをやらざるを得なくなり上手くいかないことが多かった。刀の研ぎで言えば、なんども叩いて折り返すことで厚みがあり硬さがある刀の身をトレーニング期に作っておき、強度を保ったまま夏に向けて研ぎ澄ませるようなイメージだ。冬に厚みを作れないと研いだ時に頼りない刀身になって切れ味が出なかった印象だ。

試合前の典型的なパターンは以下のようなものだった。このピーキング手法の原型は高野進さんから伝授されたものだ。重要なのは試合の2,3週間前の走り込み(だいたい合宿)でここでしっかり走れると、あとはほとんど何もしなくてよかった。経験でもこの時期がよくなかった場合はほとんど本番はひっくり返せなかった。太字は刺激の日である。極端なことを言えばこの太字さえこなさえれば後の日はすべて休みでも大して問題はなかったし、競技人生終盤は本当に休んでいた。

23日前-3台目×2,5台目×2
22日前-300H
21日前-rest
20日前-1,2,3,4,5台目+4,5,6,7,8台目
19日前-350m,250m(39″5,27″0))
18日前-rest
17日前-SD30m×3,50m×2
16日前-450m×2(54″5,53″0)
15日前-疲労抜き
14日前-疲労抜き
13日前-疲労抜き
12日前-準備
11日前-450m (やや長めの刺激)
10日前-休み
9日前-休み
8日前-準備
7日前-200m+200m(21″8,23″5)
6日前-休み
5日前-準備
4日前-300H(33″0)※290m, 9台目着地時点
3日前-休み
2日前-休み
1日前-ハードル3台目までのシミュレーション
400H予選
400H準決勝
rest
400H決勝

基本的には試合から遠いほど長めの距離でスピード維持能力を重要視し、試合が近づくほどスピードと技術を重要視していた。この場合でも23-16日前の練習が重要で、ここが上手くできれば9割型調整は上手くいった。ただ刺激が上手くいくというのはただ走ればいいだけではなく、主要な筋肉を使いながらちゃんと力を出せることが大事で、若くて技術が低いときは刺激も弱いので試合前に練習不足になることも多かった。試合前の刺激は本数が少なく質が高いのでより技術が重要になる。

振り返って人生で最も失敗したのは2004年のアテネ五輪の11日前の練習だった。250m+150mという練習を予定していたが、ほんの少しだけ疲れが残っていた。当日のギリギリまで刺激を入れようかどうしようか迷ったが、メニュー通りにその練習をすることにした。それから五輪当日まで結局疲れが抜けきらず、本番の準決勝で0″01差で落ちた。そしてその二日後にすごく調子がよくなってしまい悔やんだのを覚えている。反対にヘルシンキの世界陸上では筋肉に力が入らないのが疲れか、練習不足かどちらかわからず迷ったが、刺激を入れることにした。これにより筋肉に張りが生まれ調子が上向いていった。私の世界大会代表経験は7回程度なので、7回しか試せる機会がないという点でピーキングは本当に難しいと感じていた。

ピーキングのセンスは刺激を加えて自分の体がどのように変化するかを日常からよく観察することで磨かれる。速く走れば翌日どうなるか、また二日後どうなるのか。長い距離を走ればどのような疲労感を抱え、どう回復していくのか。いつ何を食べれば、回復しやすいのか。このような試行錯誤で自分の身体の反応を理解し、ピーキングが上手くなっていく。だからピーキングが下手な選手の特徴は一言で言えば同じことを繰り返す選手だ。人間は年齢とともに回復のペースが変わり、そうなるとピーキングの手法も変わるのだが、ワンパターンの選手はそれについていけなくなる。

陸上競技におけるピーキングは逆算の技術である。また自らの身体反応の法則を理解することでもある。本番でのあるべき姿から逆算し、いったい一年前にどのようなトレーニングをするべきで、一週間前にはどのような刺激を入れるべきかを、日々新しい変化がある中で上手く誘導していく技術のことだ。過去の蓄積が今の自分を形成している。それがわかれば今何をすれば未来の自分を作れるのかがわかるようになる。

為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

最終更新:7/12(金) 7:08
Japan In-depth

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事