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日本人は「どうやって」「どこから」来たのか?ホモ・サピエンスの壮大な旅を探る

7/12(金) 18:00配信

BEST TIMES

◆3万年前、日本列島に渡ってきた人々がいた

 アフリカ大陸で生まれた人類は、ユーラシア大陸を移動した。ヒマラヤ山脈にぶつかった彼らの一部は北へ、一部は南へルートをとり、大陸の端から日本列島へ渡った。最初の日本列島人は、航海者だったというのだ。
 この仮説を実証するべく、国立科学博物館の人類史研究グループは3万年前の丸木舟を忠実に再現し、当時の航路を人力で辿るという壮大なプロジェクトを立ち上げた。そして今月9日、台湾から与那国島まで約100㎞の航海を成功させたのだ。
 実験航海を直前に控えた6月、本誌『一個人』は同グループ長の海部陽介さんに、プロジェクトの全容をインタビューした。
(月刊『一個人』8月号「古代史23の謎」特集より抜粋)

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◆最初の日本人は3つのルートでやってきた

 およそ20万年前、アフリカにいた人類集団が進化し、現生人類が誕生した。そして5万年前頃、我々の祖先はアフリカを出て「世界」へと広がった。ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジア)を東に進んだ人々は、ヒマラヤ山脈で北と南に分かれ、やがてアジアの果てに辿り着く。そして、海を渡って日本列島にやって来た。※1

「それが、3万8000年から3万年前頃のことでした」
 国立科学博物館人類研究部・人類史研究グループ長の海部陽介さんはこう言う。日本各地に残る旧石器時代の遺跡は、3万8000年前を境に、急に増えている。これは最初の集団が日本列島へ来た証拠ではないか。
「日本への渡来ルートは主に3つ考えられます」と海部さん。

 これは氷期で海面が80mほど下がった4万年から3万年前の推定地図だ。瀬戸内海はなく本州・四国・九州は一つの「古本州島」だった。対馬と朝鮮半島、九州北部の距離はそれぞれ40㎞くらい。この海を渡って人類がやって来た。その痕跡が、南九州の石の本遺跡(熊本県)や長野県野尻湖畔にある貫ノ木(かんのき)遺跡で、およそ3万8000年前頃と推測されている。南九州から東海・中部地方で3万年以前の遺跡が440以上発見されているから、対馬ルートを来た集団は古本州島全域に広がっていったのだろう。

 次が、大陸と台湾が地続きだった3万年前頃に沖縄・琉球列島を辿って来た集団だ。宮古島のピンザアブ遺跡(3万年前頃)、石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)遺跡(2万7500年前頃)、沖縄本島の山下町第一洞窟(3万6500年前頃)などでは化石人骨が発掘されている。沖縄島南部のサキタリ洞遺跡では世界最古2万3000年前の釣り針が見つかった。

 最後がユーラシア大陸の北側からサハリンを南下して北海道に来た2万5000年前の人々。帯広市の若葉の森遺跡では3万年前頃の地層から石器が出土している。
「この遺跡などが示すように北海道には3万年前から人がいますが、その由来は不明です。2万5000年前になると、新しく北から人の流れがあったことが分かっています」 現生人類が、我々の祖先なのだ。

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最終更新:7/12(金) 18:00
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