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【インタビュー】田沼武能(写真家・90歳)「写真家にゴールはない。命ある限り、世界の子供たちの写真を撮り続けたい」

7/13(土) 15:00配信

サライ.jp

【サライ・インタビュー】

田沼武能さん
(たぬま・たけよし、写真家)
――写真家として70年、黒柳徹子ユニセフ親善大使の訪問に同行して35年――
「写真家にゴールはない。命ある限り、世界の子供たちの写真を撮り続けたい」

※この記事は『サライ』本誌2019年7月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/矢島裕紀彦 撮影/宮地 工)

──レバノンから帰国されたばかりです。

「ユニセフ(国連児童基金)親善大使として活動されている黒柳徹子さんに同行し、子供たちの写真を撮ってきました。シリアやパレスチナから戦火を逃れてきた子供たちが、元気よく遊んでいる姿が印象的でした。徹子さんとは古くからの知り合いで、35年ほど前に彼女がユニセフ親善大使に就任すると聞き、“費用は自分で出すからぜひ僕も一緒に行かせてほしい”と申し出たんです。“恵まれない環境の子供たちのために何かしたい”という気持ちは彼女と同じですからね。昭和59年のタンザニアからずっと同行しています」

レバノンでは黒柳徹子さんと首都ベイルートにあるパレスチナ難民居住区の教育施設も訪問。遊びを通して子供たちの悩みや希望を聞く黒柳さんにレンズを向ける。

──ご自身はどんな子供時代でしたか。

「僕は昭和4年に、東京の浅草で写真館の息子として生まれました。6人兄弟の次男坊で、学校から帰るとランドセルを放り出し、仲間とベーゴマやメンコとビー玉で遊ぶ、典型的な下町の子供でした。将来、写真を仕事にしようなんて思ってもいなかった。最初は近所にいた仏師に憧れ木彫をやりたいと思ったんですが、父に反対されまして。それで早稲田大学の建築科へ進んで建築家になろうと思い早稲田第一高等学院を受験しましたが、軍事教練で中学校に来ていた教官に反抗していたことが“素行不良”と内申書に書かれていたらしく、一次選考ではねられてしまいました」

──東京大空襲にも遭いました。

「昭和20年3月9日の夜中でした。空襲警報のサイレンが鳴り、焼夷弾が落ちてきて、瞬く間にあたりが火の海となりました。停電で真っ暗だった家の中が、炎で真昼のように明るく照らし出された。とてもじゃないが、バケツの水で消火なんてできない。家に残っていたのは父と僕だけで、自転車にふたり乗りをして逃げました。そこら中が真っ赤に燃えていましたね。なんとか逃げのび、隅田川の川岸の空き地で一夜を明かしました。

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最終更新:7/13(土) 15:00
サライ.jp

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