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私の“奇跡の一枚” 連載24 4横綱と新進大関

7/16(火) 12:06配信

ベースボール・マガジン社WEB

 私の実家は、福島県のいわゆる昔の豪農で、梅・常陸の時代から相撲界との付き合いがあり、祖父の口から梅ケ谷の話など、よく聞いていた。私自身が相撲の大ファンになったのは、祖父が仕切っていた相撲巡業に、横綱吉葉山がやってきたときだった。小学校低学年の私が祖父と一緒に旅館まで会いに行くと、横綱はスックと抱き上げてくれた。

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

吉葉山に始まる相撲好き

 私はたちまち、間近で見る美男の怪力力士吉葉山の風貌と貫禄、オーラ、人間的優しさにすっかり魅了されてしまった。以来、私の相撲界とのお付き合いも増えていった。また長じてボクシングという格闘技関係の仕事についたことにより、同じ格闘技でもボクシング好きな力士や親方衆とも親しくしていただくようになった。

 栃錦との戦いで相撲史に残る名勝負を演じた、猛突っ張りで名高い元巨人大関大内山の立田山親方と親戚のような間柄になったのは、昭和52(1977)~53年に親方が私の催した茨城・土浦の巡業に先発として1週間ほど、乗り込んでくれてほぼ起居を一緒にしたときから。気の優しさから吉葉山を大の苦手とした親方と、私が昵懇(じっこん)になったのだから、世の中分からない。

 狭い旅館で心配したけれど、どこにもぶつからず動きを器用にとって、つつがなく過ごされるのにはびっくりした思い出がある。もとより波乱万丈の人生に加え、昔の厳しい修業に耐えた人だから、その昔話の面白さ、貴重さといったらなかった。

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最終更新:7/16(火) 12:06
ベースボール・マガジン社WEB

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