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ジョン・F・ケネディ・ジュニア、編集長の顔と仕事への情熱

7/16(火) 21:12配信

エスクァイア

本日、7月16日はジョン・F・ケネディ・ジュニアの命日です。

 90年代にジョン・F・ケネディ・ジュニアが創刊した雑誌『ジョージ』は、政治をポップカルチャーのように扱った革新的な雑誌でした。二回目の本記事では、ビジネスマンとしてのケネディ・ジュニアの素顔に迫ります。

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 ケネディ・ジュニアは1995年のはじめに、叔父であるロバート・F・ケネディ上院議員と仕事をしたことのある用心深いヘッドハンティング会社の協力を得て、秘かに事業(『ジョージ』という雑誌を創刊すること)のスタッフを集めていました。

 その中のひとりが、『スピン(Spin)』(こちらも父は雑誌『ペントハウス』誌のオーナーという、有名人の息子のボブ・グッチョーネ・ジュニアが創刊した雑誌)の編集者だったエリザベス・ミッチェルであり、のちに『ジョージ』のエグゼクティブ・エディターになりました。ミッチェルの目には、ケネディ・ジュニアが愉快で好奇心にあふれた、地に足の着いた人間に映っていたようです。

 「彼は、私が『スピン』で編集を担当した記事をたくさん読んでいたに違いありません」と、ミッチェルは言います。「私が担当していたのは海外で取材した記事や、もっと重量感のある政治関連の記事ですが、彼は私が手がけた記事に関する具体的な質問をしてきたんです。彼が主に興味を持っていたのは、私たちがどうやってアイルランド共和国軍やモガディシオ(ソマリアの首都)のヘリコプター、さらにはユーゴスラビア紛争の鍵を握る将軍のオフィスにレポーターを潜入させることができたのか?であり、さらにそれをライターはどうやって見つけたのか? といったことでした」

 あるミーティングでの出来事を、ミッチェルは述懐してくれました。

 「ヘッドハンティング会社のスタッフが、私たちに欲しい飲み物を聞いていたので、ケネディ・ジュニアは『水』と答えたのです。そのスタッフは、『氷はエヴィアンのがいいですか? それとも水道水ので大丈夫ですか?』と訊いてきました。するとケネディ・ジュニアは、『おかしなことを訊くなぁ』といった表情で、『氷がいくつか入っていればそれでいいよ』と返事したそうです。『別に高級なものでなくてもいいからさ…』と」

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最終更新:7/16(火) 21:12
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