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チャゲが語るデビュー40年「もう一度、ASKAと一緒に歌を!」

7/16(火) 11:06配信

女性自身

'90年の無期限活動休止から10年。ASKA(61)は「チャゲアス」の解散を要求し続けているという。しかしチャゲ(61)には二人でステージに立たなければならない理由があった。ASKAの薬物使用で中止になった活動再開と、チャゲアスの“聖地”と呼ばれた代々木体育館でのライブを実現したい。もう一度原点に返ってやり直せれば――。

「自分のなかで解散は考えたことはありません。CHAGE and ASKAは俺の人生、そのものだから」

チャゲこと、柴田秀之が生まれたのは、北九州市小倉。'58年1月6日のことだった。小6で博多に転居すると、近所に住む叔父の部屋に通ってはビートルズを聴き、洋楽に親しんだ。

中学生のころ、音楽界は、フォークソングブームのまっただなか。地元出身の井上陽水やチューリップが東京で成功し、盛り上がる博多の街の空気に引っ張られるように、チャゲは音楽に傾倒していった。

高校生になり、バイト代で、自分のギターを購入すると、オリジナル曲を作り始める。チャゲを名乗りだしたのもこのころだ。

「ヤンチャだったんで、不祥事を起こしまして(苦笑)。丸刈りにさせられたんです」

周囲から「ハゲ」という声が飛んでくる。そのとき、後輩の女のコが思いついた。

「頭に“C”をつければ?」

「“HAGE”じゃなく“CHAGE”が。カッコいいばい」

そして、運命の出会いがやってくる。高校3年のときだった。学園祭に向けてバンドを組んだチャゲらは、放課後の教室にアンプを持ち込み、エレキやベースをガンガン鳴らした。その大音量にも負けないドデカイ歌声が、隣の教室から響いてくる。

「そこにいたのが、宮崎重明(ASKAの本名)。お父さんが自衛官で、北海道の千歳から隣のクラスに転校してきた。剣道をやっていて、千歳では屈指の実力。転校してきたときは『剣士が来た!』と、噂になったんですよ。だから、存在は知っていたけど、しゃべったことはなくて。歌っている姿を見て『おまえ、剣道やなかったのか?』と、思わず聞いてしまいました」

地元の大学に入るとチャゲは音楽部に入部。同じ大学に進学したASKAは、音楽武者修行を始めた。

「ASKAは剣士なだけあって、道場破りのようにギター1本持って、いろんなところに演奏に行っていたんです。人なつこくて、大人の懐ろに飛び込むのもうまく、どんどん世界を広げていました」

そんな二人が急接近したのが、大学2年のときだ。部費を使い込んだ3~4年生が一斉に引退し、急きょ、部長に推されたチャゲ。そのとき、「手伝っちゃる」と、週1回の音楽部のライブに出演してくれたのがASKAだった。

ヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)に誘ってくれたのもASKAだ。ポプコンといえば、中島みゆきや世良公則&ツイストなどを排出した名門のアマチュアコンテスト。

「チャゲ、出てみないか? つま恋の本選でグランプリ取ったら、下手したら武道館だぞ」

武道館といえばビートルズだ。

「それはよかね!」

すぐに、その気になった。とはいえ、デュオを組んだわけではなく2人は別々にエントリー。地区大会でASKAは最優秀歌唱賞、チャゲはグランプリを獲得する。つま恋本選に向け、ヤマハのスタッフがアドバイスしてきた。

「パワーアップしろ。チャゲとASKA二人で歌うんよ。組むなら、スタジオ、タダで貸しちゃるけん」

手始めに、チャゲの受賞曲『夏は過ぎて』を二人で歌ってみた。一緒に歌うのはそれが初めてだ。ツインボーカルがユニゾンで響き合う。2つの声が重なったとき、思わずお互い、顔を見つめ合っていた。スタジオのスタッフたちも、声が出ない。

「これは、いい!」

CHAGE and ASKAの誕生だった――。

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最終更新:7/16(火) 11:06
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