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日本人は銃剣で子どもを殺していたのよ――「親日」と「反日」の狭間で

7/17(水) 14:57配信

nippon.com

李 琴峰

「親日台湾」という言葉に違和感

日本に住んでいると、初対面の人から「出身はどこ?」と聞かれるときがある。それなりに日本語を巧みに操っているので、ほとんどの場合、相手は日本の地名が返ってくるのを想定している。そこで「台湾」と答えるとちょっとしたカミングアウトになるのだ。

ありがたいことに、「台湾」と答えて嫌がられることはあまりない。逆に、「私、すごく台湾が好き!」と言ってくれる人が多かった。東日本大震災以降、「台湾は親日国」という印象がかなり定着したように思われる。実際に台湾を旅行した日本人も「台湾人は日本人に優しい」と口々に言う。各分野での民間交流が進んでいることもあり、日本では今、ちょっとした「台湾ブーム」が起こっているようだ。嫌われるよりかはもちろん好かれる方がいいので、台湾出身者としてはこの状況をありがたく思っているが、一方、「親日台湾」といった言葉を耳にするたびに、少しばかり違和感を覚える。

私自身はもちろん大の親日派と言えよう。自らの意思で日本語を学び、日本に移住し、こうして日本文学の作家として活動しているのだから、日本と日本語が好きという感情は誰にも決して否定させない。そしてふとした瞬間に周りの人間を見回すと、類は友を呼ぶということだろうか、やはり同年代では日本好きな友人が多い。ところが不思議にも、私自身は成長過程において、「台湾は日本好きが多い」という印象は特に持ったことがなかった。

世代を超えて繰り返される「残虐な日本人エピソード」

今でもひりひりするような記憶がある。小学校1年生か、2年生の時のことだった。担任の先生がクラスでこのようなことを言ったのだ。

「日本人はとても残虐な民族だよ。台湾を植民統治していた頃は、台湾人をたくさん殺した。霧社事件という事件があって、日本人の圧政に反抗した台湾人はみんな殺されたんだ」

先生の表情は非常に痛切で、口調も切実なものだった。「日本人がよくやっていた遊びがあった。皆さんよりも小さい子ども、まだ歩けない赤ちゃんをたくさん捕まえて、宙に放り上げるんだ。そして赤ちゃんが落ちてくる時に銃剣で――つまり鋭い刀をつけた銃で、刺し殺すんだ。そうやって、誰が一番上手に、一番多くの赤ちゃんを殺すことができるのか、競い合って遊んでたのよ」

どのような文脈でそういう話になったのか今となってはもはや覚えていないが、話の内容だけがどっしりと記憶の底に鎮座している。そうして幼い私にとって、「残虐で怖い人たち」というのが、日本人に対する第一印象になった。

後になって考えれば、あの先生は田舎の保守的な教育システムの一端を担う一人に過ぎなかった。年齢的に日本統治時代を実際に経験したわけでもない。つまり彼女が語る「残虐な日本人エピソード」というのも、誰かから聞いた話に過ぎないのだ。

戦後、日本は台湾の統治権を失い、代わりに台湾にやってきたのが共産党との内戦に敗れた国民党政権だった。戒厳令を敷いた国民党政権の独裁政治の下、反共思想と愛国教育は教育システムを通じて島の隅々まで浸透した。自らの政権を正当化するために、日本による統治を「占拠」と位置付け、日本人を「敵」と見なした。当時の国語教科書には蒋介石が日本の軍部に留学時の教官に逆らったエピソードが収録されていて、文中では蒋介石を「愛国青年」とたたえた。あの先生は恐らくそうした反日教育の中で、「残虐な日本人エピソード」をたたき込まれたのではないだろうか。そして今度、彼女は自分の受けた教育内容を私たちに向かって再生産しようとしたのだ。

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最終更新:7/17(水) 14:57
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