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ジャニーズの原点は米軍施設内の「少年野球団」だった 「男性アイドルの歴史」を創ったジャニー喜多川氏

7/17(水) 11:03配信

デイリー新潮

 ジャニー喜多川氏の入院後、所属タレントたちは引っ切りなしに見舞いに駆け付けていた。タレントたちはまるで父親のように慕ってきた人物の容態を心配し、その胸中を素直に吐露していたが、ジャニー氏は残念ながら亡くなった。ジャニー氏は日本の芸能界を長く牽引し、一大「エンターテインメント帝国」を築き上げた功労者。そしてその原点もまた、彼を慕って集まった少年たちとの交流だった。

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 敗戦後に建てられ、米軍兵士及びその家族たちが暮らしていた「ワシントンハイツ」。明治神宮の隣、現在では代々木公園、国立競技場、NHKのある広大な地に、800戸を超える家族住宅が建てられていた。フェンスに囲まれたその敷地内にあるグラウンドで、野球に興じる子供たちの姿があった。

 俳優・歌手として現在も活躍するあおい輝彦氏(71)は、かつてインタビューで少年期についてこう語っていた(NHK「BSファン倶楽部(くらぶ)」)。あおい氏は当時、代々木中学に通う「野球少年」だった。(以下、〈〉内引用は秋尾沙戸子氏著『ワシントンハイツ─GHQが東京に刻んだ戦後─』より)

〈アメリカの駐屯地ワシントンハイツで、ジャニーズ少年野球団が練習をしていたんです。僕は当時近くの初台という所に住んでいて、こんないい環境で、野球ができるのはうらやましいなあって見ていたんですよ。入れないから網の外からね〉

 そんなあおい氏に声をかけた人物がいた。それが後に芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」の社長となる、ジャニー喜多川氏だった。ジャニー氏はワシントンハイツの住人で、近隣の日本の子どもたちを集めて野球チームを作り、指導していたのだ。それは野球を通した日米親善のためだったという。あおい氏は大喜びで入団した。

 日本占領とアイドル事務所――、意外な接点だが、ジャニー氏は1931年、日系2世としてロサンゼルスで生を受けていた。戦後、日本のアメリカ大使館で働いていたという情報もあるが、大使館員用の宿舎は別にあった。ワシントンハイツの住人であったという事実から、何らかの軍関係の仕事に就いていたと推測される。朝鮮戦争にも米兵として従軍していた。

「ジャニーズ帝国」とまで称される一大エンターテインメントの世界を築き上げたジャニー氏だが、実は幼いころから芸能には馴染みがあった。父・喜多川諦道(たいどう)は、真言密教の開教師。「リトルトーキョー」にある高野山米国別院を任されていたが、同院の「五十年史」では〈師は芸能に深い趣味を持っていた〉と紹介されている。

 同院を取材したノンフィクション作家の秋尾氏によれば、寺の本堂には奥行きがあり、仏像の前で仕切ると広いステージになるという。これは諦道師の発案で作ったものだった。

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最終更新:7/17(水) 11:03
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