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20年前のワールドユース全試合フル出場。 黄金世代・酒井友之の誇り

7/17(水) 6:17配信

webスポルティーバ

酒井は、帰国後、空港からそのまま市原臨海スタジアムに直行し、ベルマーレ平塚戦に出場した。準優勝の余韻に浸ることなく、現実の世界に戻ったのだ。だが、ナイジェリアに行く前と比べて、自信が大きく膨らんでいるのを感じたという。

「帰って試合に出たら余裕を持ってプレーすることができたんです。その後、シドニー五輪のチームができて、自分もやれると思っていたし、出たいと思っていました。まあ自分らの代が半分近くメンバーに入ったんですが、準優勝という結果を出し、戦術の理解度もあり、監督としては選びやすかったんだと思います。準優勝は、自分にとってシドニー五輪にもつながり、ラッキーだなと思いましたね」

 シドニー五輪の1次予選では酒井は主力としてプレーしていたが、最終予選での出番は少なかった。それでもシドニー五輪本大会の最終選考合宿に呼ばれた。その時は、ヒザを痛めてテーピングをしてプレーしていた。するとフィリップ・トルシエ監督が「酒井、大丈夫か」と声をかけてきたという。

「当時、伸二もケガで出場が難しくて、監督はいろいろ悩んでいたと思います。僕に『大丈夫か』って聞いてくることなんて、それまで一度もなかったですからね。その時、じつはヒザがかなり痛かったんですけど『ケガの予防のためにやっているので痛くないです』って答えたんです。そうしたら最終合宿の後のメンバー発表で、ギリギリでメンバーに入れたんですよ。でも、試合に出られる感じはまったくなかったですね」

 シドニー五輪のチームには、楢崎正剛、三浦淳宏、森岡隆三の3名がOA(オーバーエイジ)枠として入った。OA枠の選手を呼んだ以上、その選手をレギュラーとして使うということであり、実際に右のアウトサイドには三浦が入ってプレーした。酒井はヒザの故障があったので、今回はベンチでチームを盛り上げていこうと考えていた。

「オーストラリアに入って、試合の2日前ぐらいかな。監督に呼ばれて、いきなり右のアウトサイドに入るように言われたんです。何でかわからないですけどね。たぶん、ワールドユースでのプレーのイメージや、最後まであきらめずにメンバー入りした姿勢とかを評価してくれて、最後に出られたのかなあ。まあ、運よくメンバーに入って、運よく試合に出られたという感じですね」

 シドニー五輪代表チームは、中田英寿らを中心に戦い、グループリーグを突破、ベスト8に進出した。準々決勝の相手はアメリカだったが、酒井はチームにナイジェリアワールドユースの時と同じ雰囲気を感じていた。

「決勝トーナメントに入って、ここで勝てば行けるんじゃないかっていうムードが、ポルトガル戦の時と同じだなって思っていました。チームの雰囲気が良かったし、良い流れを感じてはいたんですが、最後、PK戦で今度は負けてしまって......。結果は出なかったですけど、個人的にはいい戦いができたなって思っていました」

 酒井は、ユース、五輪と順調に代表を経験し、ステップアップしていった。次に目指すのはA代表入り、そして2002年日韓W杯だった。

(つづく)

酒井友之さかい・ともゆき/1979年6月29日生まれ、埼玉県出身。2013年に現役を引退し、浦和レッズのハートフルクラブのコーチに就任。その後ジュニアチームのコーチを務め、現在はジュニアユースチームコーチ。ジェフユナイテッド市原ユース→ジェフユナイテッド市原→名古屋グランパスエイト→浦和レッドダイヤモンズ→ヴィッセル神戸→藤枝MYFC→ペリタ・ジャヤ(インドネシア。以下同)→ペルセワ・ワメナ→ペリシラム・ラージャ・アンパット→デルトラス・シドアルジョ

佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun

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最終更新:7/17(水) 6:17
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