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石原が開催してくれた『新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会』/新井貴浩コラム

7/18(木) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

数字に出ない貢献度

 前回、FAで阪神に行くとき、石原慶幸に直接伝えたりはしていなかったという話をさせてもらいましたが、それは2014年オフにタイガースを自由契約になったときも同じでした。私から連絡はしなかったし、彼からも連絡が来ることはなかった。カープ復帰が正式に決まってからですね、彼のほうから「また一緒にやるの、うれしいです」とメールをもらったのは。

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 それから、春季キャンプのときには「みんなと食事に行く機会を作るんで、新井さん、空けておいてくださいよ」と言われました。それで行われたのが、ウワサの(!?)『新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会』です。

 私がカープに帰ってきたとき、チームには私と一緒にプレーしたことのある選手は、ほとんどいませんでした。若い選手からしたら「新井さんってどんな人なんだろう。怖いのかな。うるさいのかな」とか気になっていたと思うんです。それが、若い選手のことも知っているし、私のこともすごく知っている石原が間に入ってくれたことで、一気にチームメートとの距離が縮まりました。

 食事会もそうですが、普段から石原が私と若い選手との間に入ってくれて和気あいあいとした雰囲気を作ってくれたことで、私もやりやすかったですし、若い選手たちもやりやすかったんじゃないでしょうか。そういう意味では、彼の存在はすごく貴重で、ありがたかったです。

 黒田博樹さんも同じ気持ちだったと思います。黒田さんも私も、彼が間にいたことでチームに溶け込むのも早かった。だからこそ、チームが一丸となって優勝に向かっていけました。目立つ存在ではありませんでしたが、彼もまた、優勝のために欠くことのできぬキーマンの1人だったと思います。

 数字や結果に出ない部分も、チームにとって大切なことはあります。僕らと若い選手の間だけでなく、チームがまとまっていくうえで彼の存在というのは、すごく重要でした。ただ、1つチクリと言っておきましょう。彼、私には全然遠慮しないのに、黒田さんにはめちゃくちゃ気を使っているんですよ。だから冗談で、「お前、人、見過ぎよ。少しは俺にも気を使え」と言ったこともあります。本当はめちゃくちゃ気を使ったうえで、私に甘えているんだと思いますけどね。石原! そうだろ。

 阪神に行くときも、カープに戻ってくるときも、石原に対して特に報告はしてこなかった私ですが、引退するときは事前に直接伝えていました。6月の終わりころだったと思います。黒田さんと一緒に食事をしているときに「今年でやめる」と。

 黒田さんは「ほんまか」みたいな感じでしたが、石原はずっと黙っていましたね。何にも言わなかった。あとから聞いたら「やはりショックだし、さびしかった」とは言っていましたね。

 それから数日経ったころに「(気持ち)変わりました? まだやりましょうよ。まだできますよ」と言ってきましたが、「俺はもう変わらん」と答えていました。

 最後となった日本シリーズのときも、特別な言葉はなかったです。前回も書きましたが、彼とは近過ぎて、私は「お前、分かっているだろ」という思いがあり、石原も「新井さんは、こう考えているだろうな」というのが分かっていたと思います。だから、言葉は必要ない。石原とのそんな関係が、私はすごく楽でした。

PROFILE
新井貴浩/あらい・たかひろ●1977年1月30日生まれ。広島県出身。広島工高から駒大を経て99年ドラフト6位で広島入団。4年目の02年に全140試合に出場し、05年は43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。07年オフ、FA権を行使して阪神に移籍した。11年には打点王になるなど活躍するも、14年は出場機会が減少し、オフに自ら申し出る形で自由契約に。15年に8年ぶりに古巣・広島に復帰。16年には四番打者として25年ぶりのリーグ優勝をけん引し、リーグMVPに輝く。17年途中からは代打が多くなったが勝負強さは健在で、球団史上初のリーグ3連覇に貢献した。18年限りで現役を引退。通算成績は2383試合、2203安打、319本塁打、43盗塁、打率.278。

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最終更新:7/18(木) 11:05
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