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追悼:日本モータースポーツ文化の礎を築き逝った昭和のレジェンドライダーたち

7/18(木) 11:40配信

モーサイ

国内外へと隆盛を極める現代日本の2輪、4輪モータースポーツ活動も、その原点を振り返れば敗戦の荒廃覚めやらぬ1950年代の浅間高原から歩み始めたと言ってよい。

人も技術も未成熟で金も物も不足がち……そんな時代でも、モータースポーツ競技に魅せられた多くの男たちは熱い情熱を注ぎ続け、やがて世界一級のサーキットをいくつも誕生させて、今や国内外のトップライダー、ドライバーたちによる白熱の戦いが各地で繰り広げられ、多くのモータースポーツファンをも生み、その輪は世界へ広がり続けている。

 戦後の不遇な時代からモータースポーツ競技に人生を懸けて自ら熱闘し、さらに有能な後進たちをも育てあげた日本のレジェンドライダーたちが、相次いで鬼籍に入ってしまった。いつまでも輝きを失うことのない伝説となった英雄たちに、心からの敬意と哀悼の意を表したい。ここではその足跡のほんの一部を振り返ってよう。

写真●スズキ/八重洲出版/松尾孝昭 文●松尾孝昭

伊藤光夫さん

1937(昭和12)年1月1日生まれ 享年82歳
静岡県磐田市出身

1959年浅間火山レースでスズキ社員ライダーとして125ccRBでデビューするも悪天候のため転倒リタイヤ。1960年のスズキマン島TT初挑戦には現地で練習中に負傷し欠場(そのときの様子は二輪WEBサイト・モーサイ内、【遙かなるグランプリへ4】ホンダに続け! 偶然の出会いが生んだスズキ・マン島TT挑戦史(後編)にて紹介している)。

その後、1962年イタリアGP50ccで初優勝。1963年、26歳のときマン島TT50ccクラスで優勝を遂げメインポールに日の丸をあげた。その後現在までマン島TTで日本人の優勝者は出ていない。

名折衝役として多くの勝利に貢献

以降スズキの社員ワークスライダーとして世界GPを転戦、1967年を最後にスズキが撤退すると社内レース部門の研究3課に所属。社内機構改編後マネージャーとしてレース統括部門で要職を歴任し、モトクロスの渡辺 明や安良岡 健、名倉 直などをバックアップ。

1970~1980年代には、海外レースチーム(WGP、耐久レース、モトクロス全般)と社内レース技術部との名折衝役として実力を発揮し多くの勝利に貢献した。
 また昨年12月にはMFJが設立した「MFJモーターサイクルスポーツ殿堂」の栄えある第1回殿堂顕彰者にも選出されたばかりだった。

 伊藤さんは最近まで元気だったが、検査入院で突然、悪性胸膜中皮腫(癌)が見つかり入院、自宅へ戻り程なく7月3日にご逝去された。亡くなる間際に枕頭で、ご息女のスマホから2ストレーサーの音が流れると目を明け、3度まで聞いて息を引き取ったそうで、奥様の計子さんは「あの人はバイクに乗って逝ってしまいました」と涙を浮かべた。

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最終更新:7/19(金) 11:30
モーサイ

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