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ミャンマー特集(4) 難題・少数民族和平を陰で動かす2人の日本人

7/19(金) 15:06配信

nippon.com

野嶋 剛

多民族・多宗教の国ミャンマーで、長年の懸案である少数民族和平問題。この困難な和平の推進に向け、舞台裏で尽力する2人の日本人が注目を集めている。

全土で続いた少数民族の武力抵抗

ミャンマーには、ヤンゴンの中央政府の統治に抵抗する少数民族勢力が多数存在している。その数は20グループに達するという。同一民族でも意見の対立で分裂しているなど、グループ同士の関係は微妙。政府顔負けの強力な軍事力を有する勢力もいる。この複雑きわまりない民族対立を解決に向かわせることこそ、この国にとっての最重要課題だ。

少数民族和平が実現しないゆえに、長期にわたる民主化の抑圧と軍政支配が正当化され、高い潜在力を持ちながら経済が停滞する要因にもなった。ロヒンギャ問題の陰に隠れてしまいがちだが、少数民族和は着実に進みつつある。実はその舞台裏には仲介役を演じた2人の日本人がいた。

遺骨収集のNGOトップである井本勝幸(55)と、日本財団会長でミャンマー国民和解日本政府代表を務める笹川陽平(80)だ。

ミャンマーの取材で、アウンサン・スーチー国家顧問率いる国民民主連盟(NLD)政府、国軍、外交・援助関係者を問わず、少数民族問題に関してこの2人の名前を聞かないことはない。政治的に敏感な問題にもかかわらず、日本人がフィクサー的な役割を務めているケースは海外では極めて珍しい。

ミャンマーは多民族・多宗教の国である。人口はおよそ5400万人。仏教徒のビルマ族がおよそ7割を占めてはいるが、政治統計によれば135 を数える民族が暮らしており、キリスト教やイスラム教の信徒も多い。植民地支配した英国の分割統治で民族間の対立が埋め込まれ、独立後も70年にわたり各勢力が中央政府に対する激しい武力闘争を続けてきた。

座って話し合える環境を

アフリカやアジアで援助ボランティアを経験し、僧侶でもあった井本がミャンマーに初めて入ったのは2010年ごろ。最初はビルマ戦線で命を落とした日本兵たちの遺骨収集が目的だった。この時、警察に捕まり、拘置所で何日かを過ごした。そこに、当時軍政から弾圧を受けていたNDLの幹部や民主化運動の若者たちもいた。何かできないかと考え、行動を起こす。

当時、少数民族の武装グループリーダーの一部は、国境を越えたタイのチェンマイに潜伏していた。井本はチェンマイで彼らと接触しながら、厳しい山岳地帯にあるミャンマーの少数民族地域に密かに入り込んだ。カチン、モン、シャン、カレンなどのグループを一つずつ説得し、少数民族11グループからなる「統一民族連邦評議会」(UNFC)を立ち上げたのが2011年2月。それまでバラバラだった少数民族が一つのプラットフォームで政府と交渉できる下地を作り上げた。

当初、ミャンマー政府はいい顔をしなかったという。自らの体験を記した『ビルマのゼロファイター』『帰ってきたビルマのゼロファイター』(いずれも集広舎)の著書がある井本はこう話す。

「テインセイン(大統領)は怒りましたよ。ブラックリストの日本人が余計なことをしていると。でも、その後に『井本は使えるかもしれない』に変わったんです」

民政移管の先頭に立った軍出身のテインセイン大統領は少数民族問題の解決に熱意を燃やし、人を介して井本とたびたびコンタクトを取るようになった。

「武装勢力も本音は戦争に飽き飽きしています。疲れきってもいます。でも、プライドもある。そこが難しい。私は最前線を歩いて、彼らと酒を酌み交わして語り合った。和平にどんな利益があるかを説明しながら、みんなが座って話し合える環境を作っただけです」

少数民族は基本的に独立を求めているわけではなく、強い自治権を有する形で連邦制国家に参加することが望みだ。だが、中央政府への不信感は極めて強い。そこには繰り返された中央政府の「裏切り」が災いしている。

独立に向かう新生ビルマを率いたアウンサン将軍(アウンサン・スーチー氏の父)は1947年、シャン族やカチン族など少数民族と連邦国家として独立することに合意したパンロン会議を開いた。だが、その合意はアウンサンが暗殺されたことで、新憲法には十分に反映されなかった。62年には当時のウ・ヌー首相がパンロン会議に基づく憲法改正に着手したが、直後に国軍のクーデターがあり、連邦制を目指す動きは止まってしまった。

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最終更新:7/19(金) 15:06
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