ここから本文です

出場校ルポ(1) 清水桜が丘高校が目指す「全国の匂いのするチーム」前編

7/19(金) 17:20配信

ベースボール・マガジン社WEB

前向きな気持ちを感じた2002年のインターハイ

 清水商業から清水桜が丘となり、グラウンドは土から人工芝へ、そして校舎も変わった。時代が移り変わる中、続けてきた取り組みが清水桜が丘を「全国の匂いを嗅げる」チームであり続けさせている。

 1985年度の選手権初優勝から計12回の日本一に輝いている清水商業だが、選手権は00年度に11回目の出場をしてから11年度まで出場することができなかった。90年代末には1学年8クラスだったが、13年4月に新しい学校としてスタートを切ることが決まると4クラスまで減少した。清水商業という学校の存在が徐々に薄れていく中、新設校準備のために校舎が改築され、グラウンドも使用できなくなっていった。

 どれだけ強さを誇っていても、強さを維持することは簡単ではない。指導体制と学校方針の変更、他の強豪校の台頭……。清水商業、清水東高校、そして東海大学第一高校(現在は東海大学付属静岡翔洋高校)と、3校の選手権優勝校を出している静岡県清水地域は、他に先んじて若年層からの強化を図ったことが一時代を築く要因になった。だが、他地域が同様の取り組みを行なってきたこと、才能ある中学生がJクラブのユース・チームへ行ったりすることなどもあって、清水商業も圧倒的な強さを維持することができなくなった。そして生徒数が減り、清商の名前がなくなることも決まった。衰退してもおかしくない状況だった。

 清水商業と清水桜が丘での指導が今年で22年目となり、数年前から実質的にチームの指揮を執ってきた片瀬晴城・監督は、「弱くなるのは簡単です。あのとき(13年)が最もつらかったです」と振り返った。その中で、清水出身であり、清水東高校時代に選手権優勝も経験した片瀬監督がこだわってきた部分がある。

「『清商が終わる。桜が丘になる』となったときに思ったのは、『ここに全国の匂いを嗅げるチームを残さないといけない』ということです。私にはサッカーに育ててもらった思いがあります。この地域に『全国の匂いを嗅げるチームを残さないといけない』と思ったのです」(片瀬監督)

 静岡県外から有力選手が加入してくる静岡学園や藤枝東高校といった名門校や中高一貫指導で力をつけた浜松開誠館高校、常葉大学附属橘高校、ほかにも清水東、藤枝明誠高校などが覇権を争う静岡で勝ち続けることは簡単ではない。

 00年代に入って取り巻く環境が変わる中、清水商業、及び清水桜が丘は苦しい戦いを強いられるようになった。それでも静岡県の決勝や準決勝に進み続け、00年、02 年、09年、15年にはインターハイ出場も果たしている。年代別日本代表や静岡県選抜の選手が多数いた時代とは違うが、それでも今も、清水桜が丘は「全国の匂いを嗅げるチーム」であり続けている。

 チームが前向きな考えを持つきっかけになったのは、02年のインターハイだ。当時、チームの静岡県選抜はMFの菊地直哉(現在はアビスパ福岡)のみだったが、清水商業は3位に入った。片瀬監督は「(以前のように)日の丸(をつける選手)はたくさんいないかもしれませんが、『来てくれる子たちでやれるんじゃないか』という気持ちになりました」。

(取材・構成/吉田太郎)

サッカークリニック編集部

2/2ページ

最終更新:7/19(金) 17:20
ベースボール・マガジン社WEB

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事