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西野氏を招聘したタイの“英雄” 「日本にも負けないはず」母国サッカー発展への確信

7/19(金) 18:03配信

THE ANSWER

日本やドイツでプレーしたタイ代表の英雄ヴィタヤ氏

「組織と育成がしっかりすれば、決して日本にも負けないはずなのに」――ヴィタヤ・ラオハクル(元タイ代表監督、ガイナーレ鳥取監督ほか)

 前日本代表監督の西野朗氏がタイ代表監督のオファーを受けた背景には、ヴィタヤ・ラオハクル氏の後押しがあったとの報道があった。

 ヴィタヤ氏は元タイ代表主将の名手で、代表54キャップを記録。1977年から78年まで所属した日本サッカーリーグのヤンマー(現セレッソ大阪)を経て、ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンなどでプレーした。引退後はガイナーレ鳥取で監督を務めた経歴を持ち、物心ついてから12歳までを大阪で過ごした長男は、すらすらと漢字も書くそうだ。

 タイの英雄だったヴィタヤ氏の活躍は、まるで現在Jリーグでのチャナティップ(北海道コンサドーレ札幌)を思わせるもので、日本を代表するストライカーの釜本邦茂氏や中盤のテクニシャン、ネルソン吉村(後に吉村大志郎=故人)との連携で圧倒的な存在感を示した。

「タイでサッカー選手は俳優並みに有名だから、妻はいつも僕に注意してきた。きちんとした服装をして、綺麗なマナーで食事をするように、とね。その点、日本で暮らすのは楽だった。現役の頃は、大阪でよく釜本さんをラーメン屋に誘って嫌がられた。僕はゆっくり食べられるけど、釜本さんはすぐにサインを求められたからね」

 ヴィタヤ氏は、ドイツで6シーズンを過ごし、現役時代に指導者資格を取得した。

「1980年代のタイは、テクニックや状況判断なら日本より上だったかもしれない。ただし日本のほうがフィジカルが強く、練習メニューも豊富だった。タイにはしっかりとした指導理論がなかった。だから帰国した時に役に立つようにと、ドイツで現役を続ける間にC級とB級の指導者ライセンスを取得した」

ストリートで育つタイの選手「足技は上手いし、状況判断も悪くない」

 当時ドイツでプレーするアジアの選手は4人。ヴィタヤ氏と奥寺康彦氏、尾崎加寿夫氏、それにチャ・ボングン氏(韓国)だった。

「奥寺さんの家には、よく遊びに行って、奥さんには日本料理をご馳走してもらった」

 さらにドイツでの契約を終えても、再度来日し松下電器でプレーし、チームがガンバ大阪に変わってもコーチとして監督時代の釜本氏を支えた。こうして日本と深い関わりを築いてきたことを思えば、タイ代表に日本人監督を招聘しようと動くのも自然な流れだったに違いない。

 ヴィタヤ氏は、鳥取の監督時代に語っていた。

「代表クラスにバンコク出身の選手はいない。みんな田舎のストリートサッカーやセパタクローを裸足のまま楽しんできた選手ばかり。だから足技は上手いし、状況判断も悪くない。組織と育成がしっかりすれば、決して日本にも負けないはずなのに」

 実際日本とタイ両国の対戦の歴史を辿れば、日本は1984年ロサンゼルス五輪予選で2-5と大敗を喫している。Jリーグが開幕しても、草創期にあまり楽に勝てた試合はなかった。

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

加部 究 / Kiwamu Kabe

最終更新:8/3(土) 1:51
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