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伝説の怪奇漫画家が歩んできた退屈しない人生

7/19(金) 6:00配信

東洋経済オンライン

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第67回。
 日野日出志さん(73歳)は日本の“怪奇漫画家”の代表的存在だ。

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 『蔵六の奇病』『悪魔が町にやってくる 恐怖!! ブタの町』『恐怖・地獄少女』などなど、タイトルからしてすでに怖い。

 筆者も小学生時代に読み、ずいぶん怖がったのを覚えている。とても不吉で忌まわしい雰囲気の漫画なのだが、それでももっと読みたくなる不思議な作品だった。

■久しぶりの新作は「絵本」

2000年ごろからあまり新作は発表していなかったが、先日『ようかい でるでるばあ!!  』(彩図社/寺井広樹著、日野日出志絵)という作品を上梓した。この作品は妖怪をテーマにした絵本だ。もちろん怖い面はあるものの、ユーモラスさが目立つ作品になっている。

 実は日野さんにとって絵本製作は、長年の夢だったという。

 なぜ、日野さんは怪奇的な漫画を描くようになったのか。そしてなぜ今、優しさのある絵本に行き着いたのか?  埼玉県にある日野さんの職場兼自宅で話を聞いた。

 日野さんが生まれたのは、旧満州のチチハル市だった。

 「俺の親父が満鉄の職員でした。ポッポ屋ではなくて建築屋で、駅舎、官舎など建物の保全をやっていました。他人には親切な人で、中国の人からも信頼されていたみたいです」

 1945年の8月に日本は第2次世界大戦に敗戦した。両親も日本へ引き上げなければならなくなったが、残務処理で最後までチチハル市に残ることになってしまった。

 そんな慌ただしい1946年の4月に日野さんは誕生した。

 「そんな大変なときによく産んだな、と思いますね(笑)。残務処理が終わった後には、赤ちゃんの俺を連れて鉄道で引き上げることになりました」

 日野さんたちが乗り込んだ車両は石炭を載せる天井のない無蓋車だった。そこにギュウギュウ詰めに乗り込み、3~4日昼夜構わずに走り続ける。石炭を燃やした風がたなびいて乗客は黒くなる。満州の10月末は零下10~20度まで冷え込んだ。

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最終更新:7/19(金) 6:00
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