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独特の技術を持った黄金時代西武の「二番・右翼」平野謙のすごさとは?/伊原春樹コラム

7/20(土) 10:31配信

週刊ベースボールONLINE

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。7月号では平野謙に関してつづってもらった。

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独立心があり、気持ちが強い

 1987年、西武は巨人を4勝2敗で下して日本一に輝いたが、外野陣に一抹の不安を抱えていた。センターを守る秋山幸二は盤石だが、両翼の守備に森祇晶監督は物足りなさを感じていたという。そこで指揮官が白羽の矢を立てたのが中日の平野謙だった。謙は85、86年と全試合に出場し、86年には48盗塁でタイトルを獲得。しかし、87年はケガなどもあり、90試合の出場にとどまっていた。大卒10年目の32歳。年齢を重ねていたとはいえ、守備力は高く、チームに足らないところを埋めてくれると森監督は確信していたのだろう。87年、20試合に先発させた小野和幸を交換要員として、88年に謙を迎え入れた。

 謙は中学生になる前に両親を亡くし、6歳上の姉と2人で苦労しながら生活してきたそうだが、だからか非常に独立心の強い選手のように感じた。周囲の輪の中に入って雰囲気を乱すようなことはしないが、一歩引いているようなところがあったように思う。ただ、それがプロでは大きくプラスに作用したのは間違いない。

 怖いものなしの、気持ちの強さもプレーでの支えになった。謙で真っ先に思い出すのは、ある試合のことだ。一塁へ出塁した謙に三塁コーチャーの私は盗塁のサインを出した。だが、二塁でアウト。チェンジとなり、ベンチに戻ると黒江透修ヘッドコーチが謙に聞こえるように「伊原、足がもう衰えているんだから、盗塁のサインを出すな!」と憤激。私もカーッとなったが、それを腹に収め、同じシチュエーションになったら絶対に謙を走らせると決めた。いくら謙の足が全盛期ではないといっても、ミスしたままだと向上心は生まれない。もう1度、盗塁のサインを出すことによって謙に「信頼されているな」という気持ちが生まれ、「さっきよりもいいスタートを切ろう」と積極的になる。失敗した後に成功させると選手というのは生き返るものなのだ。

 そして次の打席、うまい具合に謙が出塁してくれた。相手バッテリーも代わっていなかったが、私は再び盗塁のサインを出した。一塁の謙とアイコンタクトで「絶対に成功させろよ」「見ていてください」という会話を交わして、果敢にスタート。結果はセーフ。二塁ベース上でベンチに向かって「見たか! 俺はまだ衰えていないぞ」という顔を見て、「いい根性をしているな」とあらためて思ったものだ。

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最終更新:7/20(土) 13:50
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