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「非常に雰囲気があった」広島市民球場の思い出/谷繁元信コラム

7/21(日) 10:31配信

週刊ベースボールONLINE

『ベースボールマガジン』で連載している谷繁元信氏のコラム「仮面の告白」。ネット裏からの視点を通して、プロ野球の魅力を広く深く伝えている同氏だが、今回は「広島市民球場」。プロでは横浜、名古屋で野球人生を送った谷繁氏だが、そのルーツは広島にある。広島市民球場の思い出とは――。

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「故郷に錦を飾る」感覚

 そういうイメージがないかもしれませんが、僕は広島の出身なんです(比婆郡東城町=現・庄原市)。父親に連れられて初めて市民球場に見に行ったのは、ジャイアンツ戦でした。小学校低学年だったと思います。ベンチのすぐ上の席だったので、グラウンドとの距離がすごく近く感じました。そこで目の前のプロ野球選手の体の大きさに圧倒された。それが僕にとってのプロ野球原体験です。いま思えば広島市民球場は狭かったのですが、子ども心に大きい球場だなという印象を受けました。

 高校時代には選手としてプレーしています。僕は島根県の江の川高(現・石見智翠館高)に進学後、秋の島根県大会に優勝して中国地方の5県がセンバツ出場権を懸けて戦う中国大会に出場。そのとき初めて広島市民球場で試合をしたんですが、これがプロ野球の球場かと感動を覚えました。県大会であんなにスタンドが大きい球場など見たことがなかったですからね。

 その後、1988年にプロ入りして以降、市民球場に対する感じ方も変わってきました。横浜大洋の本拠地である横浜スタジアムでプレー、甲子園、東京ドーム、神宮でも試合をする中で、何か小さい球場だなと。比べる対象がすべてプロの球場となったので、当然かもしれません。

 ただ、レギュラーを取って広島市民球場でプレーするときには、僕の中では故郷に帰ってきた感覚がありました。地元の人たちもいろんな形で見てくれていたでしょう。実家には帰らなかったですが、3連戦のうち1試合は父親も見に来てくれていた。「故郷に錦を飾る」ではありませんが、どこかでここで活躍したいという思いも強かったです。

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最終更新:7/21(日) 10:31
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