ここから本文です

7.11「スワローズドリームゲーム」を彩った神宮名物“ドリマトーン奏者”に会いに行く

7/21(日) 11:00配信

文春オンライン

ドリマトーン奏者・森下弥生さんに会いに行く

 この日、球場内には神宮球場の名物だったドリマトーンの音色が響き渡っていたことも、感動の一助となっていたことも見逃せない。かつて、神宮球場のバックスクリーンには、試合中に「ドリマトーン演奏・森下弥生」と表示されていた。ちなみに、ドリマトーンとはいわゆる電子オルガンのことで、ヤマハ製は「エレクトーン」と呼ばれ、ビクター製は「ビクトロン」、河合楽器製のものを「ドリマトーン」と呼ぶのだという。かつて、若松勉が打席に入るときには、応援団のコールに先駆けて、ドリマトーンによる『鉄腕アトム』が奏でられていた。あるいは、飯田哲也の場合は、なぜか『おさるのかごや』が流されていたことなど、ありありと思い出す。

 僕にとって最も印象的だったのは、攻守交替のイニング間やグラウンド整備の際に場内に響き渡っていた『ライディーン』だ。YMOの存在など知らない小学生だった僕は、後にYMOを知り、本家『ライディーン』を聞いたときに、「森下さんの曲をパクっている」と真剣に思ったものだった。森下弥生さんは今でも音楽教室の講師をされているというので、僕はすぐに取材を申し込み、ドリームゲーム開催数日前にお時間をいただいた。森下さんは、実際に使っていた譜面やスケジュール帳を持参し、当時の思い出を語ってくれた。

「私が神宮球場でドリマトーンを弾いていたのは初優勝の前年の秋からでした。ということは昭和52(1977)年。その翌年にチームは初優勝。優勝の瞬間にはものすごい数の紙吹雪が舞って、グラウンドにはファンの人がなだれ込んで、応援団の(岡田正泰)団長がグラウンドに下りてきて、みんなで優勝を祝っていたことを、よく覚えています」

 神宮球場でドリマトーンを弾くことになってすぐにチームは優勝、日本一に輝いたため、森下さんは「ヤクルトは強いんだ」と勘違いする(笑)。しかし、チームは常に下位に沈み、その後、長い低迷期に入ることになる。

「その後、ずっと勝てない年が続きましたよね。シーズン途中で監督が代わったこともあったし……。そんなときは私なりにゲンを担いで着ていく服を変えたり、持ち物を変えたりしたけど、効果はなかったですね(笑)。80年代は、“絶対にもう一度優勝するまではやめられないぞ”、そんな思いで見守っていました」

 試合展開に応じて、絶妙なタイミングで絶妙な曲をチョイスして鍵盤を弾く。常にグラウンド上に気を配り、選手たちの一挙一動に注意しなければならない。とても集中力を要する仕事だったという。

「試合中はずっとグラウンドに集中していました。でも、もっと大変なことは試合中にトイレに行けないことです(笑)。試合前日からは食べ物、飲み物に注意していました。演奏ブースには窓がないので、ファールボールが飛んでくることもあったし、春先や秋口には寒さで手がかじかんでしまうし、夏はとても暑いし、意外と過酷なんですよ(笑)」

2/3ページ

最終更新:7/21(日) 11:00
文春オンライン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事