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若きエッシャーに影響を与えた、悲運の画家を知っているか?

7/22(月) 19:03配信

Pen Online

1868年、アムステルダムでユダヤ人の家庭に生まれたサミュエル・イェスルン・デ・メスキータ。美術学校の教師として若きエッシャーに影響を与え、オランダのグラフィック・アート協会の会長を務めるなど、版画やデザインの分野で活躍しました。しかし、必ずしもよく知られた存在とは言えません。

空中庭園、もしくは異空間への入り口か?ボルタンスキーの『アニミタス』

東京ステーションギャラリーで開催中の『メスキータ』展は、40年にわたってメスキータの作品を蒐集したドイツ人夫妻の個人コレクションで構成。作品数も240点と膨大で、ひとりの画家の人生に触れられる貴重な機会となっています。

メスキータが版画を始めたのは20代後半。動物や植物、身近な人物を、強いコントラストを伴うモノクロームで表現しました。一見、平面的に単純化されているようですが、細かな線も多く加えられ、同時代のアール・デコを思わせる装飾性も見て取れます。また、ステートごとにモチーフを変化させるなど、実験的な技法を用いているのも特徴です。何度も鋭く刻み込む線からは、職人が自らの技を高めていくような、表現への貪欲な探究心が感じられます。

40代にして初めて個展を開き、65歳で国立視覚芸術アカデミーの教授となったメスキータでしたが、戦争によって人生を大きく狂わされてしまいました。1940年、ナチス・ドイツがオランダを占領すると、当時、14万人居たユダヤ人を弾圧。メスキータも自由な活動ができなくなります。そして1944年に強制収容所へ連行されると、妻とともにアウシュヴィッツで無残にも殺害されてしまうのです。75歳のことでした。

アトリエに残された作品は、エッシャーら教え子や友人が命がけで持ち帰り、秘密裏に保管します。そして戦後、アムステルダム市立美術館で展覧会を開催し、再評価と復権に尽力しました。

生命こそ奪われたものの、彼の芸術は失われることなく、こうして東京にやってきました。エッシャーをして「常に我が道を行き、他の追従を許さず、独創的である」と言わしめたメスキータの世界を、日本初の回顧展で目の当たりにしてください。

文:はろるど

最終更新:7/22(月) 19:03
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2019年 09月01日号

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