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文在寅、慰安婦、徴用工……「反日」ばかりじゃない。98歳の韓国軍人と日本を繋ぐ物語

7/22(月) 5:30配信

文春オンライン

 2017年に文在寅政権が誕生後、現下の日韓関係は最悪の状態だ。文喜相韓国国会議長の天皇謝罪発言、自衛隊機に対するレーダー照射事件、従軍慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題など、韓国は反日に向かって暴走している感がある。

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 7月4日には日本が半導体原料の輸出制限を発動。事態は“日韓貿易戦争”にまで発展しつつある。1990年から93年まで在韓国日本大使館で防衛駐在官を務め、日韓関係の重要性を深く理解していると自認する筆者でさえも、昨今の韓国政府の反日政策には強い憤りを感じる。

「韓国人の中にあれほど偉大な方がいる限り、大丈夫」

 そんな時、私は自分の心をクールダウンする術として、ある偉大な韓国軍人を振り返ることにしている。「韓国人の中にあれほど偉大な方がいる限り、日韓関係は大丈夫」と自分に言い聞かせるのだ。

 その偉大な軍人とは、韓国陸軍の白善燁(ペク・ソニョップ)退役大将である。ちなみに、白大将は1920年11月のお生まれで、もうすぐ白寿(99歳)を迎えられる。白大将が白寿をむかえることは滅多にない語呂合わせでもある。

 日本語を流暢に喋り、日韓双方にとって両国関係が極めて重要であることを深く認識しておられる白大将は、現下の日韓関係を深く憂慮されていることだろう。

満州軍官学校を卒業した“西郷隆盛”

 白善燁退役大将は、筆者の防衛駐在官勤務時代を通じ最もお世話になった方である。帰国後も御厚誼・御指導を賜っている。私が自衛隊を退官する際の小宴には、わざわざソウルから熊本にお出で頂いたほどだ。

 第2次世界大戦を戦った帝国陸軍の将帥は「敗軍の将兵を語らず」で、あまり公の席で戦の話をされなかったからか、私は、旧日本軍の有名な将校から教えを頂く機会はほとんど無かった。しかし、白大将は1941年に満州軍官学校を卒業されており、韓国人ではあるものの、まるで旧日本陸軍の将軍に接するかのような感じがした。

 私にとっては国を守るという職業柄、今村均大将など旧日本陸軍の将帥に対する思慕のようなものを抱いていたが、彼らに代わって、しかも彼ら以上に客観的に、心をこめて御指導を頂いた白大将は、まるで父親のような気すらしている。

 私だけではない。反日感情が残る韓国において、歴代の防衛駐在官が白大将のお世話になっている。いわば「力強い後援者・後見人」の役割を担って頂いている。

 1920年生まれの白大将は朝鮮戦争の勃発時は29歳。その際は韓国陸軍第1師団長に任じられた。38度線の西翼にあたる開城の正面約90キロの防衛を担当していた。

 朝鮮戦争を戦う中で、その作戦・指揮能力などが認められ、逐次累進して第1軍団長、休戦会談韓国代表、参謀総長などを歴任し、1953年1月には、韓国軍初の陸軍大将になった。

 白大将は、村夫子然とした親しみやすい風貌で、肩書きに強くこだわる傾向が強い韓国人の中にあっては、例外的に極めて謙虚であり、相手の年齢・地位などに関わりなく、対等に、実に自然体で、気軽に対応され、どんな人でも懐に受け入れる器の大きさを実感できるお人柄であった。

 明治維新の立役者の一人、坂本龍馬が、西郷隆盛の人物を評して「大きく打てば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る鐘の如し」と言ったというが、私は白大将に親しく接して見て、この西郷隆盛評がそのまま白大将の人物評にも当てはまるように思えてならなかった。

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最終更新:8/6(火) 1:39
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