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ノモンハン事件 「作戦の神様」が遺していた失敗の本質手記

7/23(火) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 どういう意味か。

「どこの国でも陸軍が主で海軍が従であるのが普通ですが、日本では日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破ったことで海軍の発言力が増大し、陸軍と同格の別の組織になって、予算も2分され、その後は対立するようになってしまいました」(福井教授)

 陸軍だった辻にとって海軍に対する不満は根強く、それは〈国民の大部は虚偽隠せられたる戦況報道(特に海軍において甚だし)に戦争の前途を楽観し〉といった記述からも読み取れる。

 陸軍はソ連を仮想敵とする“北進論”、海軍は南洋に進出する“南進論”を主張していたが、ノモンハン事件とドイツのソ連侵攻を契機に軍の方針は南進へと転換された。

「辻氏には、海軍に邪魔をされて、自分が思い描いていた戦略を実行できなくなったという恨みがあったのではないでしょうか」(福井教授)

◆中国を味方にすべきだった

 では、辻が描いた戦略とはどんなものだったのか。辻の敗因分析は、実行できなかった戦略の裏返しとも言える。まず中国を味方に付けるべきだったが、それに失敗したことが敗因の1つだと指摘している。

〈日本軍の鉄蹄下に阿諛(あゆ)迎合した裏切り政権(日本の傀儡となった南京政府)を看板にして各所に独立政権を樹てたが、これを徹底的に擁護もできず無視もできず大東亜省という植民省を作って、かえって誠意を疑われ、東亜解放の真義は東亜侵略と誤解を抱きつつその協力を期待できなかった〉

 もし中国を陣営に引き込んでいれば、〈支那に百万の軍を節約し、これと提携して当たれば、米国も容易に勝つ見込みなく、いわんやインド民族の心からの協力を得るにおいては、この戦争は負ける戦争ではなかった〉とまで言う。

 さらに敗因の1つの「戦略の誤り」の分析にはこうある。

〈ビルマ攻略後の勢いでインドを解放し、ドイツと共に、トルコを陣営に入れ、「スエズ」を衝くか、あるいはソ連を攻撃して、一方の強敵を斃しておけば、今日の事態は変わっていただろう。しかし、松岡(洋右)外相が天皇の名において締結したばかりの不可侵条約が、「ヒットラー」のように裏切れなかったところに日本人らしさがあった。しからば、進んでインドを衝くべきであったが、数年後敵の準備完成してから初めて、「インパール」を攻略しようとして、手も足も出なかった〉

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最終更新:7/23(火) 7:00
NEWS ポストセブン

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