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もがき苦しむ東京五輪のエース候補。小川航基の“多彩さ”は水戸で輝くか!?

7/23(火) 11:51配信

Number Web

 「今年ジュビロで試合に出られなかったら、オリンピックはないと思った」

 相当な覚悟の移籍だった。

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 7月14日、東京五輪世代のストライカー・小川航基が、高校卒業から約3シーズン半過ごしたジュビロ磐田から水戸ホーリーホックに育成型期限付き移籍したことを発表した。

 彼にとってプロになって初めての移籍。当然、葛藤はあったが、それ以上に危機感の方が大きかった。

 小川は桐光学園高校時代から186cmの長身を生かした空中戦の強さだけでなく、足元の技術とスピードに優れたストライカーとして注目を集めていた。クロスからのワンタッチシュート、左右どちらからも放たれる正確なシュート、ドリブルから持ち込んだシュート、裏への抜け出しからのシュートと、ゴールを決めるアプローチは多彩だ。

 だが、鳴り物入りで磐田に入団した2016年以降、プロの壁に苦しんだ。ルーキーイヤーはリーグ戦出場ゼロ。2年目はリーグ5試合出場もノーゴール。昨年は13試合に出場するが、1ゴールのみに留まっていた。

大怪我も重なり、焦りが募る日々。

 その間、世代別の代表では2017年のU-20W杯でエースとして出場。初戦の南アフリカ戦でゴールを決めるなど、抜群の存在感を放っていた。

 しかし、第2戦のウルグアイ戦で左膝の前十字靭帯断裂および半月板損傷の大怪我を負い、長期離脱を強いられてしまうなど、不運も重なった。

 「東京五輪の不動のエース」として期待されていた存在だったが、前田大然、上田綺世など強烈なライバルが台頭していく姿を目の当たりにし、徐々に強烈な危機感を募らせていく。その中でも磐田での成長を望んだ小川だったが、「オリンピックを懸けた1年」と位置付けた今季においても、思うように出番が得られなかった。

 「まだ巻き返すチャンスはあると思った。その巻き返しの1つが環境を変えるということでした」

トゥーロン国際で見えた微かな光。

 この決断の大きなきっかけとなったのが、6月のトゥーロン国際だった。

 ライバルの上田と前田がA代表としてコパ・アメリカに出場している中、小川は約半年ぶりにU-22日本代表に選出。準決勝のメキシコ戦で同点ゴールを決めると、ブラジルとの決勝でも大会無失点だった相手から同点ゴールを奪い、準優勝に貢献した。

 「僕の中でトゥーロンが物凄く大きかった。『ジュビロで点を取れないのはなんでだろう? 』と自分の中で考える時はありましたが、『でも、代表に行ったら点を取れるのはなんでだろう? 』と考えたときに、チームの戦術だったり、その中で自分がどう輝くかということを肌で感じることができた。いろんなところの環境を経験したのが大きかった」

 磐田で点を取るために、3年半もがき続けた。しかし、取れなかった。代表ではコンスタントにゴールを決めている自分がいる。この事実を改めて突きつけられた彼は、環境を変えることの重要性に気づく。

 「もう試合に出て学ぶことしかないと思いましたし、どんどん試合に出て、得点を決めたい気持ちが強くなった。(移籍は)自分自身、相当考えた上での決断でした。この決断に対して、『ああ小川、移籍ね』と思った人もいると思うし、かたや『(移籍が)遅くないか』と思った人もいると思う」

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最終更新:7/23(火) 12:31
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