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中国のリー・ナがテニス名誉の殿堂入りした初のアジア生まれの選手に

7/24(水) 12:02配信

テニスマガジンONLINE

 リー・ナ(中国)が国際テニスの殿堂で、新たな境地を切り開いた。中国人である37歳の元テニススターは、名誉の殿堂入りした初のアジア生まれの選手となったのである。

 彼女は名誉の殿堂オープン準決勝に続いて行われた長いコート上のセレモニーで、メアリー・ピアス(フランス)、エフゲニー・カフェルニコフ(ロシア)とともに殿堂に迎え入れられた。

 土曜日の準決勝が2試合ともフルセットにもつれ込んだために、揃って2度ずつグランドスラム大会で優勝した3人の殿堂入りセレモニーは開始が遅れることになった。セレモニーは夕暮れ時に始まって夜まで続いたため、スタッフや関係者たちは小さなスポットライトの中に集まることを余儀なくされた。

 2011年にフレンチ・オープンで優勝したリー・ナは、グランドスラム大会のシングルスで優勝した最初のアジア人となった。この決勝は、彼女の母国である中国で推定1億1600万人の視聴者が見守っていた。

「コートに来る前には知らなかった。そうでなければもっとナーバスになっていたと思う」とリー・ナは午後の記者会見の際に話した。

「私がテニスを始めたのは8歳くらいのときだったが、最初はテニスが大嫌いだった」と彼女は暗闇の中に座っている観客たちに向かってスピーチした。

「でも、思ったより悪くなかったわ。少なくとも私は今、ここに立っている」

 彼女はまた、決勝で2度敗れたあとに2014年のオーストラリアン・オープンでもタイトルを勝ち獲った。

「ゴールには、それを達成するために必要な力や意図と同じだけの価値がある」とピアースは29分のスピーチの出だしに溢れる涙と闘いながらこう言った。

 45歳のカフェルニコフは彼の記念額の中で、“彼の世代の中でもっとも圧倒的なロシア人プレーヤー”と表現されている。彼は1996年にフレンチ・オープンで優勝し、その3年後にオーストラリアン・オープンでもタイトルを獲得していた。

「僕は今、名誉の殿堂のメンバーになるということが何なのかがわかった」と観客に向かって言った。

「僕は残りの人生を通し、この責任を担うことになる。そして、皆さんを失望させることがないよう願っている」

 2002年に世界ランク1位となったカフェルニコフは、卓越したベースラインプレーを主軸にプレーを組み立てる選手だった。彼は2000年シドニー五輪の男子シングルスで金メダルを獲得しまた2002年にはロシアのデビスカップ優勝に貢献した。

「僕がそれをやってのけられたのは、ハードワークゆえだった」と彼はコメントした。

「これらの成功のすべては、自分自身が大いに努力をしたからこそ実現したんだ」

 殿堂入りする前日に、殿堂内の展示室に足を踏み入れたカフェルニコフは過去に引き戻された。

「階段を登って初めてミュージアムに入っていったときには、本当に驚いた」と彼は振り返った。

「テニスの記録からトロフィー、オリンピックのメダルまで…どれほど感情を揺さぶられたか言葉では表現できない」

 44歳のピアスにとって、フレンチ・オープンでプレーすることは夢のひとつだった。そして彼女は2000年にそこで優勝し、それ以上のことをやってのけた。彼女その5年前に、オーストラリアン・オープンでも優勝していた。

「少女の頃、テレビで観ていたフレンチ・オープンでプレーするというのは私のテニスでの夢だった」と彼女は明かした。

「それから実際にそれに優勝することで、私の夢は実現した」

 2006年USオープン3回戦で、ピアスはリー・ナに対して彼女のグランドスラムでの最後の試合をプレーしていた。

「私たちが今日、どこにいるか見てほしい」とピアースは、すぐ隣に座っているリー・ナを見ながら語りかけた。(C)AP(テニスマガジン)

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最終更新:7/24(水) 12:02
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