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東野幸治が描く“宮川大助・花子伝説”「大助“博士”が作り上げた『宮川花子』という漫才マシーン」

7/25(木) 8:10配信

デイリー新潮

 東野幸治が仲間たちの秘話をつづる連載「この素晴らしき世界」。今週のタイトルは「執念と愛に満ちたコンビ、宮川大助・花子(2)」。

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 夫婦漫才の第一人者、宮川大助・花子師匠の話の続きです。

「とにかく早く結果を出したい」。そんな思いで一致していた2人でしたが、結果はすぐに出ました。コンビ結成から2年後の1981年、今宮戎神社こどもえびすマンザイ新人コンクールで奨励賞を獲得します。ちなみに大賞は結成からたった2カ月の大木こだま・ひびきさんでしたが、結成から2年で奨励賞ももちろん素晴らしいことです。

 そして翌年4月に行われたABC漫才・落語新人コンクールで見事優勝。「やっとスタートラインに立てた」。そう思ったのもつかの間、その半年後、前出のこどもえびすマンザイ新人コンクールで、その年から開校した吉本の新人タレント養成所NSCに入学して3カ月しか経っていないコンビ松本・浜田(のちのダウンタウン)があっさりと大賞を受賞します。

「養成所のコンビがコンクールに出るらしい。しかもそのコンビは革命的な漫才をするらしい」との噂を聞きつけて、この大会を一番後ろの席から観ていた大助さんは衝撃を受けました。

「コイツら絶対売れる。そしてその後には『笑い』というものが完全に変わってしまう。その前にワシらが売れんと……。大助・花子は終わってまう!」

 なんとしてでもダウンタウンが売れる前に自分たちが売れないといけないと、大助・花子さんはシフトチェンジをします。

「大ちゃん、ドツキ漫才やなくて、もっと花ちゃんに喋らせなアカンで。その方がお客さん笑いやすなるで」「嫁に喋りでやり込められる方がウケると思うけどなぁ」

 親身になって相談にのってくれた、しゃべくり漫才の先輩である夢路いとし・喜味こいし師匠や漫才作家の先生たちのアドバイスで決心がつきました。夫婦であることを公表して、嫁の不平不満をリアルに見せるネタに変えました。そして花子さんが9割、大助さんが1割と喋りの割合もガラッと変えました。花子さんの喋る部分も大助さんが考えて、相変わらず、ひたすら花子さんに喋って聞かせました。

 そこからの2人の漫才への、まさに執念とも言える情熱はもはや怖ろしいものでさえありました。

 舞台の出番がある日は劇場に一番乗りして稽古します。出番が来たら漫才して、終わったら稽古してまた出番。そして終わってまた稽古。劇場が閉まるまで粘り、帰宅したら花子さんが子供の世話をしている間、横で大助さんが花子さんの喋る部分を喋り続ける。子供を寝かしつけたら、近所の公園でまた稽古。「公園で男女が喧嘩している」と夜中に通報されたことは、一度や二度ではありません。時には大助さんが花子さんをビンタすることもあり、それにキレた花子さんが大助さんの顔をグーで殴って前歯が折れたこともあったそうです。

「そこまで稽古せんでも……」「本番の舞台に支障きたしたら元も子もないで」。先輩芸人や吉本の社員に、半ば呆れ気味に言われることも多々ありました。

 しかし、そんな声には耳を貸さずひたすら地獄のような稽古を続けた結果、大助“博士”が作り上げた「宮川花子」という漫才マシーンは舞台で光り、輝きを放つようになります。

 身振り手振りを交えてスピーディーに喋り倒す花子ロボと、その横でオロオロする大助博士。それにツッコむ花子ロボ。お客さんは大爆笑。順調に漫才スターへの階段を上っていきました。

(続く)

東野幸治(ひがしの・こうじ)
1967年生まれ。兵庫県出身。東西問わずテレビを中心に活躍中。著書に『泥の家族』『この間。』がある。

「週刊新潮」2019年7月18日号 掲載

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最終更新:7/25(木) 8:10
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