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セカオワSaoriに「この世界だけで上手く生きていけなくたっていい」と思わせた小説『百の夜は跳ねて』の魅力とは?

7/26(金) 8:00配信

Book Bang

 生きているとは、どんな状態を指すのだろう。『百の夜は跳ねて』を読んで、真っ先に感じたのはそんなことだった。

 SNSを見れば、生きていても生きていないように感じるという人々の言葉が溢れている。働き詰めの生活でロボットのようになってしまった人や、社会と繋がれずにひとりぼっちだと悩む人、死人のように無感情だとつぶやく人は少なくない。

 本書の主人公は就活に失敗して高層ビルのガラス清掃をする、生きている実感を持てない若者だ。その先輩の清掃員も「俺たちも幽霊みたいなものかも知れないな」と話す。

 窓ガラスの外側にいる清掃員を、内側の住民たちは無意識に頭の中で消している。高層階に住む人々はカーテンをつけないことも多いが、清掃員を気にすることなく着替えたりセックスしたりする人がいるのは、彼らの目から清掃員が見えていないからだ、と言う。

「幽霊」というワードが出てくると、私も胃から酸っぱいものが込み上げてくるのを感じてしまう。私にも人から存在を消され、自分のことを幽霊のように思っていた経験があるからだ。

 小学生の頃、授業中に二人組や三人組などのチームを作らなくてはならない時が来ると、私はよく幽霊になった。

 チーム作りは先生の号令とともに始まり、さっそく仲良しの友達と手を繋ぎにいく生徒やグーパーをして公平さを保とうとする生徒、チームが決まったので雑談をしながら先生が話し出すのを待っている生徒などで賑わっていたが、私はいつまでも教室の端で立ちすくんでいるだけだった。

 巣に帰っていく蜂のようにどんどん席が埋まっていく中で、私が一人で立っていても誰も気にする様子はなかった。いつものことで慣れてしまったのか、目を合わせたら私とチームを組まなくてはいけないと思っていたのか、あまりにも全員が「この教室内では何の問題も起きていない」という顔をしているので、私がここで生きていることの方が嘘みたいだった。

 もしかすると、自分は死んでいて誰にも見えていないのかもしれない。そんな風に感じていた小学生時代を思い出しながら、私は本書を読み進めていった。

 主人公の清掃員は、仕事中に出会った高層ビルの一室に住む老婆から、どこでもいいからビルの内部の写真を撮ってきて欲しいという不思議な依頼をされる。やがて窓の内側と外側にいた二人は隔てのない場所で会い、お互いの孤独について話し合うが、その中で老婆は一風変わった生への捉え方を語る。

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最終更新:7/26(金) 10:04
Book Bang

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