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『文化と営利』をめぐって――経済史家と著者が語る

7/26(金) 6:00配信

Book Bang

 現代日本の企業の多くはグローバルに展開しています。外国での企業活動で日本人が戸惑うのは、海外ではカルチャー・ショックや文化摩擦の経験をだれもがするように、その国の商慣習を含む文化です。相手国の文化風土を考慮しなければ、企業のグローバル展開は成功しません。営利活動に及ぼす文化について正面から取り組んだのが本書です。文化といっても、メセナのような企業の文化活動ではありません。企業を取り巻く当該国の文化そのものが対象です。

 2部構成で、第I部は文化と経済にかかわる理論、第II部は国別の文化と企業経営との具体論です。全ページの4分の3を占める第II部の記述が本書の醍醐味です。

 国家は力の体系、利益の体系、価値の体系から成る――これは国際政治学の高坂正堯の良く知られた見解ですが、それぞれ軍事力、経済力、文化力と言い換えられます。軍事力は措いて、本書の第II部は、イギリス、アメリカ、中国、イタリア、ドイツ、そして日本という6か国それぞれの「価値の体系(文化)」と「利益の体系(経済)」の関係について、経営史の観点から解析しています。構えが大きい――これが本書の第一印象です。

 各国の文化的特徴として、アメリカ企業人の気質には「個人が神と直結」するピューリタンの信仰が原型にあり、イギリスの企業家には信仰よりもノルマン・コンクェスト(ノルマンディー公と共にイギリスを征服した家臣が貴族に列せられたこと)に源をもつ貴族への憧れが強く、貴族階級の富の源泉=大土地所有を求める大地主=貴族志向が底流にあり、中国では家族・血縁の結びつきが重んじられ、イタリアも同じく家族主義ながら生活における美的志向が中小の企業のブランド化をうながし、ドイツと日本には共通性があるものの、ドイツ人は形式知、日本人は暗黙知を重視するという違いがあり、また日本の経営者資本主義は江戸時代の「番頭制」が源流にあるなど、各国の経営文化の歴史的個性の骨格を押さえながら、安部氏の体験的知見も披露されています。

 日本の経営者資本主義の由来について私見があります。私見では、日本は所有と経営の分離を世界で最初に実現した国です。それを可能にした制度は四〇〇年ほど前の兵農分離です。兵農分離は信長が始め、秀吉が推進しました。「地侍」や「在地領主」と言われるように、武士層は「一所懸命」で土地獲得と所領経営に命を懸けました。しかし、国内を統一した家康の「一国一城」の命令で、武士層は城下に集住させられ、兵農分離が確立し、土地は「一地一作人」が原則で本百姓が所有しました(明治初期の地租改正で農民の土地所有が確定)。士農工商で各身分の職分が決まり、武士の職分は「経世済民」すなわち統治と経済のマネジメントになりました。武士は土地から切り離され収入は俸禄だけで、各藩が「藩経営」に従事することで「武士は食はねど高楊枝」の倫理観の高い人材が育ちました。それは所有から分離した経営資源の蓄積であり、私はそれを「本来的蓄積」と呼びます。それは同時代に進行した西ヨーロッパの「本源的蓄積(生産手段=土地と生産者の分離)」と対照的です(拙著『経済史入門』日経文庫を参照)。

 それはともかく、企業活動には、契約にせよ投資にせよ、契約相手や投資先とのtrust(トラスト)が不可欠です。一語で表せば「信」です。「信」は、企業間の「信用」、人間同士の「信頼や信義」、各種宗教の「信仰や信心」にまでかかわります。安部氏は、執筆動機が社会思想のフランシス・フクヤマの『「信」無くば立たず』であることを明かしつつ、「信」にかかわる内外の文献を渉猟し、「信」と企業活動が不可分であると論じています。企業経営と文化は無関係だと思われがちですが、安部氏によれば、それは誤りです。文化は組織・慣習・制度・宗教などを通して営利活動を規定するほどに関係しています。文化と営利は不可分であり、かつ両立(著者の用語では「共進化」)しうるという独自の「安部テーゼ」を打ち出しました。経営史の本として新鮮で野心的です。

 一方、古典的な大きなテーマもしっかりとらえられています。3点ばかりあげておきます。

 第1に、ウェーバーの理論にかかわります。マルクスが『経済学批判』で提起した「下部構造(経済)が上部構造(文化)を規定する」というテーゼに対し、ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で「上部構造(宗教)が下部構造(経済)に影響する」というテーゼを出し、その後、世界の諸宗教を分析して比較宗教学の業績を残しました。本書の際だった特徴は経営史の分野に宗教を取り込んだことです。すでに寺西重郎『経済行動と宗教――日本経済システムの誕生』(2014年)がありますが、「経営と宗教」という大きなテーマに挑んだ安部氏の知的勇気は称賛に値します。

 日本の経営史学は、文化構造と企業活動の国際比較の重要性を説いた中川敬一郎氏を中心に学会が設立され、1970年代から目覚ましい成果をあげてきました。本書は現時点におけるその到達レベルを示したものともいえます。

 第2に、安部氏の「文化と営利の共進化」というテーゼは、近代の渋沢栄一の「論語と算盤」、幕末の二宮尊徳の「道徳と経済」など、道徳と経済の合一を説く日本の経済論の系譜に連なります。それは(安部氏が正当にも指摘しているように)江戸初期の鈴木正三の「万民徳用(士農工商と身分こそ違え、職分を果たす道としては対等で仏道に通じると説く)」にまでさかのぼり、それは江戸中期の石田梅岩の「心学」に継承されました。ときあたかも、渋沢栄一が福沢諭吉に代わって日本の最高額紙幣の肖像画になる、と発表されました。本書の出版は時宜にかないました。

 第3に、本書は、その副題に「比較経営文化論」とあるように、比較文化論への貢献です。「比較文化・文学」は東京大学教養学部の創設以来の輝かしい学統ですが、経済への目配りが希薄でした。本書は経営史家による比較文化論への堂々たる参入です。さらに言えば、比較文明論への足掛かりでもあります。

 イスラーム教圏やヒンズー教圏における文化と営利の関係は今後の課題ですが、宗教に踏み込めば、文明の衝突・対話が視野に入ります。本書は期せずして「比較経営文明・序論」にもなっています。

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最終更新:7/26(金) 6:00
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