ここから本文です

民衆信仰「修験道」の過去・現在・未来(中)

7/28(日) 12:00配信

新潮社 フォーサイト

 

――本(宮城泰年・田中利典・内山節『修験道という生き方』新潮選書)の中で内山節先生が書いておられましたが、修験と密教との親和性でいうと、そもそも日本における密教の大成者である弘法大師空海が山の修行者であった、というところが非常に面白いですね。

田中:以前、弘法大師の高野山開創1200年(2015年)が近づいていたころに、その記念事業として「弘法大師高野山開創の道プロジェクト」というのが計画されます。ちょうど、当時の高野山真言宗の内局で村上保壽さんという私と同郷の教学部長がおいでになって、世界遺産シンポジウムでご一緒したときに、「田中君、開創1200年で、今、弘法大師が高野山に至った道を探しているんや」と言われました。


■「弘法の道」と「世界遺産」

田中:これは、弘法大師の『性霊集』とか嵯峨天皇への上表文の中で、弘法大師自身がお書きになっている文章があって、「吉野から南に1日、西に2日行きて幽玄の地を見つける。名づけて高野という」と書き残している。村上さん曰く、「つまり、お大師さまは吉野から高野に入られたんや。この道を今探していて、高野から天辻峠まで和歌山県側の踏査は終わったけど、その先は全部奈良県やから、お前手伝え」と言われましてね。それで県に掛け合って、奈良県の事業として調査してもらい、7年がかりで最終的にこのルートだろう、という道を確定しました。

 ただ道というのは、人が使わないと消えてしまいますから、このルートを使った「Kobo Trail」という、金峯山寺~金剛峯寺間約55キロのトレイルランレースを年に1回開催しています。

 弘法大師は讃岐から奈良に勉強に来て、ドロップアウトして優婆塞(うばそく=編集部注・在家の仏教信者)になった。そして大峯にも入ったわけです。すでに当時から、役行者以来の大峯は修験のある種の聖地性を持ちつつあったわけです。

――そして山岳修行のときに、高野山を「発見」する。

田中:当時、吉野から下って大峯山までは至らずに大天井ヶ岳あたりでぎゅっと曲がり、天辻峠を超えて高野山に行ったルートだろうという推定です。これは弘法大師がまさに山岳修行者で、優婆塞であり、修験者であった1つの証になるのではないかというので、私もお手伝いをさせていただくことになり、見事にそのルートができたわけです。

 もっと面白い話があります。2004年にユネスコ世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」ですが、私は最初、吉野・大峯で登録してもらおうと手を挙げていました。ところが熊野と高野はすでに先に話を進めておられて、「あちらが先行しているから急がないとだめだ」と聞いたのです。

 ちょうどその頃、奈良・三重・和歌山の県知事が集まる常設の3県知事会議というのがあり、そこで世界遺産登録を提案してもらい、3県合同でできるんじゃないかということで、そこからトントン拍子に正式登録まで話が進みました。

 この「紀伊山地の霊場と参詣道」は具体的には吉野、熊野、高野なんですが、そのうち吉野と熊野は大峯奥駈道でつながっているし、高野と熊野は熊野古道でつながっているんです。ところが、吉野と高野をつなぐ道はなかった。ところがそこに「弘法大師の道」をつけることによって、みごとにトライアングルに繋がったのです。弘法大師の道が、いわば1200年も前から用意されていた完結編だった。


■「民衆信仰」「風土」を取り込んだ空海

――その弘法大師が日本に持ち込んだ密教が、日本人との親和性が高かったんですね。

田中:空海さんという人は、大胆にいうと、私は真言密教の創始者というか、自分で創造したところがたくさんあるのですね。もちろん直接の師匠である中国の恵果阿闍梨から伝えられた密教だし、不空、金剛智といった真言祖師の教えというさまざまな前提があったにしろ、空海の書物には、引用の出典が自分の書いたものだったりする。そんな人はあまりいないですよ。ということは、自分で創造した真言密教の部分が、私はあると思う。しかもそれは極めて日本的、日本ナイズされているという気がするんです。

――それは、弘法大師が若いころにいわゆる山岳宗教を十分にやっていたからなのかもしれないですね。

田中:日本の山林での鍛錬が、恵果阿闍梨から習った密教をビジュアルに体現させたんでしょうね。

――その意味では、まさに最初に話題にした風土性というものを、弘法大師は充分に身につけた段階で唐に行って、密教を持って帰った。

田中:どうしても高野に自分の曼荼羅道場をつくりたかったのは、まさに高野の風土が、自分が学んだ密教の世界に合致する場所として若いころに刻まれていたんでしょうね。

――そもそも曼荼羅自体が総合性なわけで、ヒンズー教の神様でも何でも全部そこに取り入れている。そして「一即多・多即一」の世界をつくっちゃっているということを考えると、それはまさに日本人がずっと持ってきた修験的なものとものの見事に合致していく。

田中:中国での段階で、曼荼羅にはヒンズーの神様とか、いろんな神様を取り込んでいて、それが日本に来るとさらに真言曼荼羅だけではなく、浄土曼荼羅とか吉野曼荼羅とか参詣曼荼羅といった展開をして、神様をどんどん取り込んでいきますからね。

――その意味では、真言密教はそのベースに民衆宗教の流れをかなり吸い込んでいる。

田中:内山先生もお書きになっていますけれども、空海が出たとか法然が出たとか言うけれども、それを支える民衆がなかったらそんなものは後世に残りはしない、というのはまさにそのとおりだと思います。どうしても体制側、学問側の研究で言うと、平安時代に最澄と空海が出て、鎌倉時代に誰と誰が出てみたいなことになるけれども、そこを支えるベースの民衆側の論理というのを、もっと見ていかないといけない。


■「体を使う」ことの重要性

――その意味で、本の中では「風土への帰属」ということについて意識して発言されていたように思います。帰属するとは何か。帰属先は何なのか。いまわれわれは、その帰属先を失っているんだと。

田中:山尾三省さんに言わせると、帰属先は土や、ということです。やはり大地に戻らないといけないのではないか。

 だから、私は講演でよく大峯奥駈修行の写真を見ていただくのですが、その理由は、現代人がおにぎりを3つ持って1日10時間以上も山の中を修行として歩く姿の中に、何かを取りもどしているということを感じてもらえるのではないか、と思ってのことなんです。

――おかしかったのは、この本の中で「僕は山が特に好きではない」と何度も……。

田中:というか、嫌いですよ。鼎談した宮城泰年さん(聖護院門跡門主)は、好きなんですよ。いまだにチベットの高山に行かれたりしていますからね。

 私は全然嫌で、膝も悪いんですが、でも修行だから行っている。行くと学ぶことはたくさんあるわけで、それを皆さんに紹介しています。

 ただ、とてもしんどくてきついものです。最近、文化庁の支援事業で、大峯修行の一部をドローンで撮影したのですが、その映像を見て、こんな危ないところに素人を連れて行っているのかと思った。それを見るまでは何でもなかったのに、本当に危ないことをしていると思いますね。大峯山の裏行場には平等岩とかいろんな危険な行場があるんですが、そういうところでも命綱はつけませんから、落ちたらおしまい。そんな場所に平気で人を連れて行っている。皆一所懸命だから、めったに事故は起こらないとはいえ、危なくてしょうがない。

――この山修行は、西洋人が始めたいわゆる近代の登山とはまったく別の概念なわけですよね。「そこに山があるから登る」というのが近代登山なら、山修行はまさに祈り。祈るために歩く、祈るために登るということになるわけですよね。

田中:歩かせていただく、山に入らせていただくみたいな感覚ですね。

――その感覚は修験に限らず、日本人が持っている「何かに対して祈る」「何かを思って祈る」という心持ちがあるからなんだと思うのですが、先にお話にあったように、帰属意識がなくなっていくことによって、そうした心持ちも消えていきつつあるのでしょうか。

田中:現代は、近代的価値観が近代的自我の増大を促すようなシステムになっています。その基盤にはキリスト教など一神教が説く自己の自我と唯一絶対の神との関係性がある。そういった近代的自我も良いのかもしれませんが、日本人は近代以前まではそういうものを持ってこなかった。1つの神様に帰依するというのは、阿弥陀信仰がそれに近いとはいえちょっと違う。日本人は集団に帰属するとか、和を何よりも尊ぶとか、周りのものが全部自分と同心円状にいるという感覚があるわけです。

 これは内山先生の言葉を借りると、祖霊や自然も含むわけですね。こういう感覚は、欧米人にはあまりないと思うんです。そのあたりは気をつけて考えていかないといけないと思います。私たちはやはりアメリカ人にはなれないわけですから、むしろ自分たちのものを取りもどすことが大事だと思います。

――自我の話で言うと、岸田秀さん(心理学者)などは「そもそも自我なんて幻想でしかない」と言うわけです。確立した自我などはなく、一神教的な世界では絶対的な神がバックにいるから、それに寄りかかれる自我があるだけなんだ、と。でも日本人には本来それはないわけです。

田中:この本の中で内山先生が書いているのは、結局「真実はつながりにある」ということですね。自我があると思うと、自分とは何かとか、命とは何かと言う疑問にいきつくけれども、そもそもそんな自我はないんだと。つながりの中で自分という人があったり、夫婦というものがあったり、心というものがあったりする。つながりの側に真実があるというのは、まさにそういうことです。それはまさに仏教でいうところの諸行無常であり、諸法無我であり、まさに縁起であるわけです。そう考えていくと、近代の行き詰まりを突き崩していくには、仏教的な考え方は非常に有効な手立てなんだろうなと思いますね。

――そこで大事なのが、体を使うかどうかということになるわけですね。自分で体を……。

田中:動かしてみる。体をもって生きているということから、物事をもう1回捉え直してみるみたいなことが大事なのでしょう。

――そういう意味では、弘法大師ではないですけれど、「身口意」とはよく言ったものです。

田中:体を使え、言葉を使え、心を使え。

――だから我々がやる祈りも、声に出す、体を動かす、気持ちをそっちに持っていく。それは、恐らく日本人がずっと、縄文時代から持ち続けたものなんですね。

田中:アニミズムという言葉は欧米人がつくったものなので多少の問題はあるとは思いますが、日本人はモノ信仰というか、モノに命が宿ると考える。お茶碗をカンと叩いた子供に、お母さんが「そんなことをしたらお茶碗が痛がるでしょう」と言うじゃないですか。本当は痛がるわけはないのですが、でもそれが、日本人のモノとか命に対する考え方であり、ありがたさを生むベースなんです。

 私は月に1台か2台、車のご祈祷をするんですよ。でも今は、自動運転さえできるような、ハイテクの塊のような車じゃないですか。それをご祈祷するなんて、本来はおかしいことなんだろうと思います。でも、それが日本人のモノ信仰、アニミズムなんですね。

 これはたぶん、ずっと消えていかないんだろうと思います。欧米人はそれを面白がっているかもしれませんが、この風土に触れている人たちは、よその国から来た人であろうとひょっとするといずれそういうことをしたがるようになるかもしれませんね。

――ということは日本人は、欧米人の感覚では理解できないことをやっているということになりますね。

田中:「ともに生きている」とか「共生、共死、共苦」につながるような、同心円状の中に自分の含めたすべてのものがある、という自覚が日本人にはあるのでしょう。

 たとえば自然に対する考えもそうでしょう。欧米人は神と契約し、神から与えられた自然=ネイチャーとみますから、それをどのように切り取ってもよい。だから神に対する供養とか、神に対する贖罪はするけれども、モノとか自然に対してそういうことはしない。する必要がないわけで、それが全然違うのかなと思います。

 日本は自然が豊かだけれど、自然の恩恵と脅威が背中合わせにあり、それは一神教系の宗教が生まれた砂漠の民の風土からすると全く違うのですが、その自然に対するまなざしの違いが根本的にあると思います。(つづく)

 

フォーサイト編集部 森休快

最終更新:7/28(日) 12:00
新潮社 フォーサイト

記事提供社からのご案内(外部サイト)

新潮社フォーサイト

新潮社

毎日更新

月額800円(税込)

フォーサイトは有料会員制の国際情報サイトです。いま世界で起こっていることを、研究者やジャーナリストなどの専門家がわかりやすく解説。1万本以上の記事が読み放題!

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事