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「フィンランド独立」の歴史とともに歩んだ「7人の女性芸術家」

7/30(火) 17:00配信

新潮社 フォーサイト

 

 「もっとも内的な情熱を描こうとすると、女性であるがゆえにそれができずに恥ずかしい思いをするのです」

 フィンランドの国民的画家の1人、ヘレン・シャルフベック(1862~1946)は友人に宛てた手紙の中で、女性芸術家としての苦悩をこう吐露していたという。

 現在、国立西洋美術館新館展示室では、19世紀後半~20世紀初頭、フィンランド美術の一時代に活躍した7人の女性芸術家たち(※)の作品を紹介する展覧会「モダン・ウーマン――フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」が開催されている(9月23日まで)。歴史の大きなうねりのなかで、彼女たちはどう道を切り拓き、女性芸術家としての地位を確立したのだろうか――。

※マリア・ヴィーク、ヘレン・シャルフベック、エレン・テスレフ、シーグリッド・ショーマン、エルガ・セーセマン、シーグリッド・アフ・フォルセルス、ヒルダ・フルディーン


■求められた「ナショナル・イメージ」

 フィンランドがロシア帝国から独立したのは、1917年。彼女たちが活躍した時代は政治的、社会的に変革を迎え、時の機運は、当然のことながら芸術にも、そして社会における女性の立場や役割にも大きな影響を及ぼした。

 現在でもフィンランドは男女格差がほとんどない国として知られているが、1846年に設立されたフィンランド芸術協会がつくった素描学校も当時のヨーロッパには珍しく、男女ともほぼ同様に基礎的な美術教育を受けることができた。しかし、それは、自治権を制限し始めたロシア帝国や、それ以前にフィンランドを支配下に置いていたスウェーデンとも異なる「ナショナル・アイデンティティ」を確立するため、政府が文化や芸術に力を注いだからだ。そのため、美術に限らず、音楽や文学に至るまで愛国主義的な傾向が一層強まり、素描学校の学生にも自国の風景や歴史画などの「ナショナル・イメージ」を描くことが望まれたという。男女問わず奨学金を出して他国、特にパリへの留学を積極的に支援したのも、フィンランド美術が国際的に認められることを期待してのことだった。

 こうした社会のなかで、1873年、非凡な才能を持つ少女がわずか11歳にしてこの素描学校に入学する。それが、冒頭に紹介したヘレン・シャルフベックだ。日本でも4年前に回顧展が開催されたばかりなので、ご存じの方もいるかもしれない。彼女は素描学校を卒業後、奨学金を得て1880年代初頭、9歳年上で親友のマリア・ヴィーク(1853~1928)らとパリのアカデミー・コラロッシに留学している。


■モダンで国際的な作風

 「シャルフベックは国際的にも非常に人気が高まり、再評価されています。彼女の書簡なども翻訳され、このころの女性芸術家や社会、美術界の動向を知る貴重な資料となっています。

 そして、ナショナリズムに湧く当時のフィンランドにあって、シャルフベックをはじめとした女性画家たちはその空気に染まることなく、“女性”としてのアイデンティティを模索していました」

 と、久保田有寿(あず)国立西洋美術館 特定研究員は解説する。

 「独立運動が激しくなっていく19世紀末から、とりわけ男性芸術家の多くはナショナリズムに傾倒していきました。フィンランドでもっとも有名な画家の1人、アクセリ・ガッレン=カッレラ(1865~1931)は民族叙事詩『カレワラ』を絵画化しました。ロシアやスウェーデンとは異なるフィンランド独自の文学を視覚化することで、彼は独立運動に寄与したのです。それに比べて、今展覧会で紹介している女性画家たちは、ナショナリスティックなものはほとんど描いていません。彼女たちはパリに留学したり、イタリアなどで長期制作をしたりするうちに、フランスを中心に発展したモダニズムをいち早く吸収し、国際的な新しい表現を確立しました。

 また19世紀後半からフィンランドにも戸外制作の方法がもたらされましたが、彼女らの風景画の多くがさほど大きくないのは、外で持ち運びしやすい小さなカンヴァスが好まれたからです。彼女たちは同時に、人物画や風俗画、静物画のような身近なモティーフを描いています。人の注意を喚起するような大きな歴史画などではなく、自ら描きたいものを描き続けていました。もし、同時代の男性画家の作品と並べて見せることができたなら、作風の違いを比較できておもしろかったかもしれません」


■パイオニアとして活躍する姿

 女性でも奨学金や留学のチャンスを掴み、男性を伴うことなく外国を行き来できたことは、画家同士の結びつきを強くしたようだ。ヴィークとシャルフベックは同じアトリエで一緒に制作していた時期もあったし、自分たちのことを「姉妹」と呼び合いながら、共にキャリアを形成していった。

 「今回紹介している7人の芸術家のなかには、自分が学んだ素描学校で教鞭を取って後進を育てたり、美術評論家としてフィンランド美術史に足跡を残した人がいます。ヴィークとシャルフベックは人望が厚く、尊敬された教師だったと言われていて、シーグリッド・ショーマン(1877~1979)やヒルダ・フルディーン(1877~1958)はシャルフベックに師事しています。またエレン・テスレフ(1869~1954)、ショーマン、エルガ・セーセマン(1922~2007)はそれぞれの個性で芸術表現を追求しつつも、3人には豊かな色彩と、パレットナイフを使用して大胆な筆致自体を見せていくという共通の特徴があります。ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)から影響を受けたテスレフは自身の作品に彼の作風を取り入れ、テスレフの妹分でもあったショーマンは、彼女と共同制作をするうちに、その新たな表現を学んでいます。

 彼女たちは芸術家を目指す女性たちに、パイオニアとして活躍している姿を見せることでも、女性であれ1人の芸術家としてどのように振る舞っていけばいいかを伝えていきました。この時代、フィンランド芸術協会が男女分け隔てなく才能がある芸術家を教師として起用したことは、後にフィンランドにおける女性の社会進出につながっていったのではと思います」


■参政権は早かったものの…… 

 とはいえ、早い時期から女性の美術教師や批評家が存在していたものの、女性はフィンランド芸術協会の理事会のメンバーや賞の選考委員に選ばれることはなかった。女性の参政権は、ヨーロッパのなかではいち早く1906年に認められ、翌年には最初の国会議員が選出されたが、芸術協会においては、女性が副理事に就任するのは1956年まで待たなければならなかったという。

 さらに、1905年に初めて女性作家のグループ展が開催されるも、フィンランドの公的な芸術政策は、女性に花や静物など「女性らしい」モティーフを求めていたため、彼女たちのより表現に富んだ作品を認めることはなかった。当時の批評は作品そのものではなく、彼女らの容姿や配偶者を語ったものさえあった。こうした風潮に反発してか、美術批評家としても活躍したショーマンは、「美術批評家は第一に、他の芸術家が何を美しいと考え、彼らの美の経験によって何を強調したいのかを理解せねばならない」と述べ、従来の偏見に満ちた批評家らとは一線を画して、作品そのものを純粋に批評しようとする姿勢を見せている。

 こんな時代だったからこそ、ヴィークやシャルフベック、テスレフといった画家の活躍の裏では、実は他の多くの女性芸術家たちは職業としての不安定さや偏見に挫折し、表舞台に立つことすらなかったのだ。ましてや、公教育さえ行われていなかった時代に彫刻の道を志し、オーギュスト・ロダン(1840~1917)の下で学んだ彫刻家のシーグリッド・アフ・フォルセルス(1860~1935)の苦労は並々ならぬものがあったに違いない。

 今回の展覧会で取り上げる7人の女性芸術家は、強固な意志で自身の表現を模索し続けたが、その人生は立ち上がったばかりの国同様に、激しく揺れ動いていた。激動の時代を歩んだ彼女たちの作品から、私たちは何を受け取ることができるだろうか。

 

日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念

モダン・ウーマン

―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち

会期:9月23日(月・祝)まで 

会場:国立西洋美術館新館展示室

休館日:月曜日 

※ただし、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・祝)は開館

開館時間:9:30~17:30 

※毎週金・土曜日は21:00まで ※入館は閉館の30分前まで

 

フォーサイト編集部

最終更新:7/31(水) 12:39
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