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モデル時代はいきなり水着姿に……女優20周年・米倉涼子が語った“2人の恩人”

8/1(木) 11:00配信

文春オンライン

スター女優のひと言でブロードウェイ挑戦

『黒革の手帖』は2006年に米倉の主演で舞台化もされ、これが彼女にとって初舞台となる。2008年には、いつか挑戦したいと思っていた『CHICAGO』の日本版に主演、自分の力不足を痛感しながらも、演じる喜びを覚える。このときには本場ブロードウェイの舞台に立つことなど、まだ思いもよらなかった。だが、2010年に『CHICAGO』のブロードウェイ版が日本で上演された際、出演者のひとり、アムラ=フェイ・ライトと出会ったことが、彼女の心に火をつける。このとき、なぜこの仕事を引き受けたのか米倉がアムラに訊ねたところ、「思わずやるって手をあげちゃったのよ。でも、あとになって、とんでもないこと引き受けちゃったと思ったわ」という答えが返ってきた。これに米倉は、《私だって「やります」って手をあげちゃっていいんだよ、と背中を押された気がしました》という(※6)。

 やがて事務所も米倉の希望を理解して、数ヵ月がかりで出演交渉が行なわれる。この間、彼女はドラマなどの仕事のかたわら、ブロードウェイチームの指示に合わせ、英語での歌や演技、ダンスを収録したテープを何本も送った。その厳しさは、好きな『CHICAGO』でなければ絶対に耐えられなかったと、のちに振り返るほどであった。ようやく出演が決まり、日本を出発するときには、いままで積み上げてきたものがぶちこわされることも覚悟する。《でも、まだ甘かった。あそこまで見事にぶちこわされるとは、予想がつかなかった》とは、2012年に初のブロードウェイ公演を終えてからの彼女の弁だ。《やり遂げれば自信がつくのかな、と思っていたけれど、とんでもない。自信なんか以前と同じで、全然ありません。心に残ったのは悔しさです。自分の技量がまだまだ足りないことへの悔しさ、もう少しやらせてほしかったなあという悔しさ。だから、次を目指したいと思います》(※6)。この思いが、5年後、さらに今年の再演へとつながっていく。今回の再演を前に、米倉は《『CHICAGO』はずっとやっていたい》と同舞台への一途な情熱を口にした(※7)。

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最終更新:8/1(木) 14:06
文春オンライン

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