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美術家・大浦信行さんと天皇コラージュ事件

8/6(火) 14:11配信

創

映画にも昭和天皇が登場

《はじめに》2019年8月3日、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が突如中止になるという事件が起きた。4年前に都内で開催された「表現の不自由展」を拡大する形で、津田大介さんの企画で実現した企画はわずか3日間で中止になったのだった。
 その事件の中で、抗議が殺到した作品とされたのが、慰安婦問題をテーマにした少女像と、大浦信行さんの「遠近を抱えて part2」だった。会場で公開した動画が、「天皇の写真を燃やしていた」などと誤って伝えられ、天皇批判の政治的作品と矮小化されてしまったのだが、実はそうではない。
 大浦さんといえば、その版画「遠近を抱えて」で以前、右翼団体の激しい攻撃にあったことがあった。その経緯をレポートしたのが以下掲載する記事だ。報告は、2014年、大浦さんが「靖国・地霊・天皇」という映画を製作し、公開された話から始まる。(編集部)

 6月、映画監督の大浦信行さんと新宿で会い、2時間ほど話を聞いた。直接的なきっかけは、大浦さんが監督した映画「靖国・地霊・天皇」が、同年7月19日からポレポレ東中野などで公開されることで、4月頃に大浦さんからDVDが送られていた。
 大浦さんのそれまでの映画は全て見ているし、以前に上映時のトークに呼ばれたこともあった。前作「天皇ごっこ──見沢知廉・たった一人の革命」については、『創』で鈴木邦男・雨宮処凛両氏と大浦さんの鼎談も掲載した(2011年11月号)。私はこの機会に、大浦さんの作品を貫くテーマやそこで描かれている天皇の問題について、じっくり話してみたいと思った。
 大浦さんについて『創』が最初に取り上げたのは、1986年に富山県で開催された美術展「86富山の美術」に展示された大浦さんの版画作品「遠近を抱えて」が右翼団体の猛攻撃を受けた事件をめぐってであった。14点の連作であるその作品には、コラージュの中に昭和天皇が含まれていた。その経緯については後述するが、その後、都内で開かれた大浦さんの個展を見に行った際に、私はその問題とされた作品「遠近を抱えて」の現物を見ることができた。
 富山での事件の後も、沖縄での美術展でこの作品が展示中止になるなど、「遠近を抱えて」はいろいろなところで問題になっていたのだが、そうした事態に臆することなく、作品を展示している大浦さんの表現者としての姿勢に共感した。そればかりか、その後、大浦さんが次々と発表する映画にも「遠近を抱えて」の天皇の画像が登場した。「靖国・地霊・天皇」にももちろん描かれている。
 右翼の攻撃や、展示側の規制によって度々受難に遭いながらも、大浦さんが昭和天皇というモチーフにこだわるのがどういう意味を持っているのか。それを聞いてみたいと思った。
 映画「靖国・地霊・天皇」はタイトルのとおり、靖国や天皇をテーマにしたものだが、靖国問題をめぐる解説を求めてこの映画を見る人は、はぐらかされた気になるかもしれない。確かに靖国問題をめぐる左右の意見は取り上げられてはいるのだが、その映像に突然、「地霊」役の前衛舞踏の女性が登場するなど、この作品も、これまでと同じ“大浦ワールド”が描かれたものだ。
 そもそも版画「遠近を抱えて」も、そのコラージュの素材には、昭和天皇の写真だけでなく、著名な写真家マン・レイの撮った裸婦がいきなり登場していたり、決してわかりやすいものではない。大浦さん本人も言うように、決して右とか左とかいうイデオロギーから昭和天皇をモチーフとしているのではないのだ。
 そのあたりについて本人の話を紹介する前に、まずは1986年に、大浦さんの出身地である富山県で起きた事件を振り返っておこう。
右翼の街宣車52台が全国から結集
 大浦さんの代表作というべき版画「遠近を抱えて」は、彼が美術家を志してニューヨークに渡った時に制作された作品だ。1985年に帰国した大浦さんは、その作品を同年に栃木県立美術館にて展示。続いて翌年3月13日から富山県立近代美術館で開催された「86富山の美術」で、14点のうち10点が展示された。同美術館では、その作品のうち4点を、所蔵するために大浦さんから購入もしたというから、作品の評価は高かったわけだ。
 問題が起きたのは、その美術展が4月13日に終了してから2カ月近く経た6月4日のことであった。富山県議会の教育警務常任委員会で、自民党と当時の社会党の議員から、「遠近を抱えて」に対する批判が表明されたのだった。最初に発言したのは自民党の石澤義文県議で、「天皇陛下の写真に女性の裸体や人間の内臓図、骸骨などを組み合わせたもので、何ともわけがわからず不快感を覚えた」というものだった。続いて社会党の藤沢敦県議が「国民が天皇在位60年を祝賀した直後に、こうした作品を展示するのは、芸術の美名に隠れて一部の者が快楽を覚えているだけではないか」と発言した。これが翌日の地元紙などに報じられ、騒ぎになっていった。
 右翼団体などが美術館や県教育委員会に抗議を行い、作品の撤去や焼却、さらに館長の処分などを要求した。騒ぎを聞きつけた宮内庁から県に問い合わせが入るという一幕もあった。7月21日には、福井市の雷鳴塾などを始めとして全国から駆け付けた右翼団体30数団体約220人が街宣車52台を連ねて県教育委員会や美術館に抗議行動を展開した。
 その直前の7月18日、美術館は大浦作品を非公開とする館長見解を県議会で報告、作品を紹介した「図録」の非公開も決めた。後に、その図録を所蔵していた富山県立図書館も、閲覧制限を決めている。
 この間、美術館や図書館の自粛措置に反発した市民からは逆に大浦作品の開示請求が出され、対立は長期化をたどる。1987年には朝日新聞阪神支局襲撃事件が起こるなど、日本全体が重たい雰囲気に包まれた時期でもあった。
 事件が新たな展開をたどったのは90年に入ってからだった。富山県立図書館が図録を非公開にしていたことが日本図書館協会などでも問題になり、同図書館は公開に踏み切るのだが、その公開初日の5月22日、富山県の神社で神職を務める男性が、警察の警備を振り切って、図録の大浦作品のページを破り捨てたのだった。器物損壊に問われた男性は翌年有罪判決を受けるのだが、裁判には右翼や市民が傍聴に訪れ、注目を浴びた。
 この神職は、自らを右翼とは区別しているのだが、大東塾で薫陶を受け、天皇を崇拝する人物で、裁判でも一貫して、「天皇を侮辱する作品に表現の自由は認められない」と主張した。
 騒動の舞台は富山県だったが、当時、大浦さんは東京在住だった。大浦さんのもとにも当然、右翼団体からの抗議は行われた。当時の状況を大浦さんがこう話す。
「突然電話で『けしからん』と抗議してくるというのはしょっちゅうでしたが、閉口したのは、夜中の2時50分に毎晩、無言電話がかかってくるんです。これはもう組織的な嫌がらせだと思い、寝る前に電話線をはずすことにしました。それで2~3週間経ってから、もういいだろうと思ってつないで寝たら、驚いたことにまた2時50分にかかってきたんです」

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最終更新:8/7(水) 16:02

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