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相模原障害者殺傷事件から3年。障害者の東大生が語る”私たちがすべきこと”

8/8(木) 8:33配信

HARBOR BUSINESS Online

矛盾だらけの優生思想に目を向けるのではなく、個々に焦点を

 事件直後、植松被告は、殺した障害者を「心失者」と述べていた。彼らを人間とは思っていなかった片鱗が垣間見れ、世間は「これは優生思想ではないか」と騒ぎ立てた。

 このことに対して「どう思う?」と愼さんに質問をすると、「そもそも論として、優生思想は思想ではない。ロジックが自己破綻している」と返って来た。そして、優生思想の矛盾点を話し始る。

「まず社会は、”個人が責任を負えない、負う必要のないものをみんなで分散して負う”もの。強盗が入った時は、個人では解決できないので警察を呼ぶよね。警察とは、みんなが税金をだして構成されている組織。警察だけじゃなくて、水道や道路も同じ」

 愼さんが強調しているのは、「強盗に対処するかや水道の水を引けるかどうかは、個人の責任の範疇にない。優劣とは結びつかない」ということ。同様に、個人の責任の範疇にない障害の有無も優劣とは結び付けようがないのだ。

 優生思想とは、「優劣を持ち込み、劣っているものの排除をする」こと。そうなると、強盗や水道も優劣の範疇に入れなければならない。

 この意見を聞くと、「それはそうだけど、障害者は税金に対する依存度が大きい」と一部の人が思うはず。しかし、それは「優生思想」というレッテルで怯えているようなその類の話ではなく、福祉政策の在り方の議論となってくるのが現状。

 論理が破たんし、思想に値しない考え方である優生思想。向き合う意味もないのではと思ってくるが、無視をしてはならない。

 愼さんはここで注意点を述べ始める。「彼らを無視するのではなく、彼らの発言の意図を汲み取ること」ということだ。対話を通して、彼らがなぜその思想を抱いたのか。対話を通して、その思考に至るまでの恨みや辛みを解きほぐすことが一番重要なのだ。

 優生思想といった論理破綻したマクロなものに囚われるのではなく、個々の思想の背景に目を向けなければならない。これをしないと、また同じ事件が起きると愼さんは話す。

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最終更新:8/8(木) 12:40
HARBOR BUSINESS Online

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