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嶽本野ばらは気高き理想という旗を掲げる――『純潔』論

8/9(金) 6:30配信

Book Bang

 嶽本野ばらの作品は、それまで陽の当たらなかった者たちの声なき声を小説の世界にもたらしてきた。パンク・バンドの女性ヴォーカルに熱烈な愛情を寄せる「チビでデブでブス」な少女(『ミシン』)、幼い頃に性的虐待を受け、今は過酷ないじめに晒されているEmily Temple cuteを着ることだけを生き甲斐にする少女とホモセクシャルの少年のプラトニックな恋愛(『エミリー』)、ド田舎でBABY, THE STARS SHINE BRIGHTに身を包む孤独なロリータ少女とヤンキー少女の友愛(『下妻物語』)などがその代表作だ。その嶽本が大作『純潔』(新潮社刊)で焦点を合わせたのは左翼とオタクだった。

 東日本大震災の翌年、平成二四年(二〇一二年)の春、東京。京都出身の平凡な大学一年生の「僕」こと柊木殉一郎(ひいらぎじゅんいちろう)は、入学したばかりのキャンパスで、黒縁眼鏡をかけた無表情な女子に「あなたの幸せは本当の幸せですか? 第四世界民主連合」という怪しいビラを渡される。続いて『魔法少女まどか☆マギカ』の携帯ストラップをつけていたばかりにハードコアなオタク集団に執拗に勧誘され、無理矢理アニメ研究会に入部させられた。ある日、殉一郎が講義に向かうと、教室は先日の眼鏡女子にバリケード封鎖されている。アニメ研の先輩に訊ねてみると、彼女は大学の創立者の銅像を破壊するなど危険な活動に手を染めているらしい。

 ところが、過激派眼鏡女子、北据光雪(きたすえみつゆき)は殉一郎と同じ大学の政治経済学部三年生で、同じ安アパートの住人だった。殉一郎が愛読する石川啄木をきっかけに距離を近づけていったふたりは、やがて恋に落ちる。

 刺殺された新左翼の思想家の娘である光雪は、資本主義を共産主義で補完することを目指し、ショーペンハウエルやヘーゲル、ルソー、マルクスにキング牧師、河上肇から田中正造まで古今東西の社会思想に通暁しているが、政治活動に無縁なことはほとんど何も知らない。殉一郎と両想いだとわかっても「恋愛感情というものが如何なるものかよく理解出来ない」と交際を断るが、「交際もデートも無理だが、セックスなら出来る」とズレたことを言い出し、童貞の殉一郎をドン引きさせる。家ではいつも「3―C 北据」とゼッケンのついたジャージを着ているせいで欲情されないのではないかと思い込み、「しかしメイドの衣装なら持っているので、もし本当の本当はメイド好きなら、何時でも着替えるので伝えて欲しい」と言い出す。「どうしてそんなものを持っているんです?」と突っ込まれると「路上でビラを撒くことも多々ある。しかし大概は学内同様、無視される。だからメイド服で街頭に立つことを憶えた。メイドの恰好をしているとわりと受け取って貰える」と答える始末だ。海に誘われれば「柊木君がロリコンならば競泳用水着だろう。しかし思い掛けずおっぱい、ぽろりを望むならば、ビキニにするべきだと思うのだが」ととんでもないことを真顔で言う。

 アニメ研究会も濃いメンバーばかりだ。部長の畠中(はたなか)隊長は「憶えておきなんせ、新入生――。これからの世界に必要なのは腕力でも権力でもない。秀でた情報収集能力と処理能力だということを。我等はガチヲタ。学内にも外にも友達のいない者が多数派だけれどもじゃ、しかーし、あらゆる情報収集と交換は欠かさない。我等にとって最も重要とされるのは、情報力じゃからね」「二次元オンリーだじょ。ナマモノに欲情するなぞ考えられん」とオタクであることを誇る男。そのくせ自分の趣味を「俺はこうみえてもオーソドックスなのでがんす。『Kanon』や『AIR』みたいな、純愛プラスエロがよい」と熱弁してしまった時には「うー。いきなし新入生相手に、マジレスしてしもうた……」ともじもじしつつ頬を赤く染めて照れる。三年の井上書記長は握手券をゲットするためにCDを大量購入するほどAKB48に入れあげているが、日本国憲法を全文諳んじるインテリでもある。二年の後藤隊員はミリタリーオタク兼盗聴マニアで、政府や企業のプログラムに侵入するハッカー志望だ。ハナゲ先生は四〇代の人気少女漫画家だが、アニメ研の同人誌でハードなBLを書いている。アニメ研のオタクたちは光雪に恋する殉一郎を面白がり、ふたりをネタにした『殉一郎の海』というエロ同人誌までコミケで無料配布しようとする。

「乙女のカリスマ」と呼ばれていた嶽本野ばらは、二〇〇九年頃から「敵だとすら思っていた」オタクカルチャーに傾倒していた。二〇一二年に上梓された『もえいぬ――正しいオタクになるために』はオタクとしてのマニフェストだ。二〇一六年には「可愛いに死す――男子追放宣言」(『落花生』所収)というエッセイでオタクからの離脱を綴っているが、当時の嶽本はインターネットの共有(シェア)思想、Wikipediaに代表される集合知、前衛としての同人誌の可能性に魅せられていた。オタク時代に上梓された『桜の園』、『破産』、『サリシノハラ/47』はライトノベルの手法を援用して書かれていた。『純潔』の文体にもライトノベルは強い影響を及ぼしている。

 そもそも嶽本野ばらはエッセイ集『それいぬ――正しい乙女になるために』で一九九八年にデビューした時から徹底してラディカルな思想家だった。自らロリータ・ファッションを纏い、「乙女は気高く孤高なものです」と「乙女のハードボイルド」を高らかに提唱し、少女趣味を称揚した。また、嶽本は同エッセイ集でややアイロニカルな態度で天皇制に言及していたが、『純潔』ではこの政治制度の問題に真っ向から挑んでいる。

『純潔』では原発事故が次第に物語の焦点となっていくが、嶽本は震災の翌年に発表された『破産』でも主人公の小説家に次のように独白させていた。「震災に絡んだ物語が書けなかったのは、瑣末(さまつ)でもいい、難渋する被災した人々に何か道標を示さなければならないと、柄にもなく考えてしまったからでしょう」「だけれども、僕には出来ないのです。そのようにちゃんとしたことは。ヘタレなんだもの」「恐かった。大勢の人が一瞬にして津波に呑(の)み込まれ、死んでしまったことが……。耐えられなかった、大地震の後も執拗(しつよう)に何度もやってくる余震が……。地震が齎(もたら)した原発事故も、放射能も……。ニュースで伝えられる震災の現場、極限の状態で原子炉を修復しようと作業する人々、テレビに映し出される光景に心を痛める余裕すらなく、ひたすらに僕は恐怖していた」――これは嶽本自身の本音でもあるのだろう。

 光雪たち政治活動家とアニメ研のゆとり世代のオタクは殉一郎を触媒として共振し始める。これまでアウトサイダーを語り手に据えることがほとんどだった嶽本の小説と『純潔』には決定的な差異がある。ドストエフスキーばりにノンストップで飛び交う長大な議論をまとめあげる、語り手の殉一郎の一人称は極めてニュートラルだ。そこまでオタクでもなく、ノンポリで「女子と手すら絡(つな)いだことなき、童貞」の殉一郎の語りによって『純潔』は嶽本野ばらの小説のなかで、最も開かれたものとなっている。

 新右翼の大松広平(おおまつこうへい)、新左翼の李明正(りめいせい)と連帯して、光雪は世界同時革命を目指していた。大松は迷彩服に愛國と書かれた鉢巻きをして、右腕には尊王攘夷の入れ墨、『新世紀エヴァンゲリオン』のOP『残酷な天使のテーゼ』を街宣車で流し、こてこての関西弁を喋る。「活動資金の殆どを裕福な実家から引き出している」在日三世の李は時代遅れの型にハマった左翼だ。殉一郎は光雪、大松、李と反原発のデモや集会に参加し、忌憚のない議論を交わすようになっていく。殉一郎はアニメ研のメンバーにもデモに参加するよう誘うが、彼らは直接リアクションを起こすことには消極的だった。

 八月、殉一郎との海水浴デートを控えた五日前、バイト先のメイド服でビラを配っていた光雪は警察に格好を見咎められ、別件逮捕されてしまう。光雪を釈放する嘆願書に署名してくれそうなのはアニメ研のオタクたちしかいない。殉一郎は部室に向かう。部員たちはコミケの追い込みで殺気立っていた。しかし、「変態と思われても仕方ない作品を描いてる」というハナゲ先生は「私なんてもうとっくの昔から警察にマークされてるわよ」と公安に監視されることも厭わず、真っ先に署名する。ハナゲ先生は逮捕された友人の漫画家について話し、「私はオナニーのオカズが作りたいんじゃない。オナニーがしたいんだよ!」と腐女子の矜持を語る。それに感化されて、非合法のハッキングに勤しんでいる後藤隊員以外の部員たちも署名し、ハナゲ先生と関係あるサークルや漫画家仲間も協力して三五名の署名が集まった。光雪は七日間拘束ののちに釈放される。

 光雪が釈放されて安堵したのも束の間、物語は悲劇へ向かう。大松と李はイスラム系左翼ナショナリズム武装組織「日本部戦」の力を借り、福島第一原発をジャックして福島県を日本から分離独立させ、天皇制共産主義国家を樹立しようと目論む。暴力を否定する光雪は計画に参加しないが、殉一郎は革命に加わることを決意。しかし、遂に決行直前となった時、日本部戦は活動家たちにある残酷な決断を迫る。

 九月二六日、革命のXデイが訪れた。作戦のコードネームは――「サルジュ・サーティウ」――アラビア語で「光る雪」だった。

『純潔』を傑作たらしめているのは殉一郎と光雪の恋だ。光雪に魅了される理由を「真っ直ぐに、人の叡智を信じる――と、断言する曇りのなさを、僕は綺麗と感じるのだ」と殉一郎は語る。殉一郎の存在によって、思想だけに生きていた光雪も変わる。光雪は言う。「自分を愛せないものは本当の意味で他者を愛することなど出来ないのだ」と。

 光雪が自分を愛しているのがわかっていても、セックスを求められても、殉一郎は純潔を守り続ける。性は権力と同様、支配の側面を持つからだ。「独占や権力を渇望すること、そしてそれを行使することが悪なのではない。それらに拠って他者を支配しようとする行動に悪がある。僕達は何も支配することは出来ず、する権利を持たない」と殉一郎は想う。

 平成の初頭から始まった不況は令和に至っても加速するいっぽうで、私たちは停滞と諦念のただなかにいる。そこでは冷笑が最も賢い処世術とされ、人々は自らの政治的な立場や属性という名の島宇宙に閉じこもり、互いに相争うことしか知らない。インターネットという双方向のコミュニケーションの技術が身近になっても、私たちは分断されたままだ。理想は嘲笑われ、現実主義と呼ばれる矮小な打算が幅を利かせている。そんな時代に嶽本野ばらは、政治活動に身を捧げる女子に惹かれて革命に身を投じる青年の純愛を描き、気高き理想という旗を敢然と掲げて見せた。

 私たちはもう一度、文学について、思想について、政治について、経済について、恋愛について、そして幸福について、斜に構えることなく、真摯に考え直す必要がある。「あなたの幸せは本当の幸せですか?」と光雪がビラに書いたように、『純潔』はその問いに答えることを読者に迫る。

 私はこれまで読んできた同時代のすべての小説より『純潔』に心を動かされた。虚無に覆い尽くされた世界に燦然と輝く光がここにある。

[レビュアー]川本直(文芸評論家)
1980年東京生まれ。「新潮」「文學界」「文藝」などに寄稿。著書に『「男の娘」たち』がある。

新潮社 新潮 2019年9月号 掲載

新潮社

最終更新:8/9(金) 6:30
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