ここから本文です

あの選手も打っていた! 恐怖の二番打者と恐れられた選手たち

8/10(土) 11:02配信

週刊ベースボールONLINE

現在、プロ野球では二番に強打者を置くのがトレンドになっている。メジャー発祥のトレンドだが、日本でも巨人やDeNAなどがこれを取り入れている。ただ、二番に高いバッティング能力を持つ選手を置くことは、過去にもさまざまなチームが試しており、時に球界屈指のバッターが二番に据えられることもあった。そこで今回は、そんな「恐怖の二番打者」と恐れられた選手を紹介する。

「ビッグバン打線」の中心

●小笠原道大

 小笠原道大は日本ハム、巨人でクリーンアップを務めた球界屈指の強打者だが、パ・リーグのファンにとっては「恐怖の二番打者」という印象も強いだろう。小笠原は入団3年目の1999年に打力と走力を買われて二番に定着。このシーズンは打率.285、25本塁打を記録し、翌2000年も打率.329、31本塁打、102打点と従来の二番打者のイメージを覆す成績を残した。当時の日本ハム打線は「ビッグバン打線」と称されたが、その中心は間違いなく小笠原だったといえるだろう。

卓越したバットコントロール

●篠塚利夫

 1980年代の巨人打線を牽引したレジェンドの一人である篠塚利夫(1992年6月30日以降の登録名は篠塚和典)も、「打てる二番」として他チームから恐れられた存在だ。シーズン半ばから二番での起用が目立った1984年は首位打者に輝き、113試合を二番・スタメンで出場した翌1985年も打率3割を超える活躍を見せた。卓越したバットコントロールと、ここ一番での一発が期待できるパワー、さらに華麗な守備と、まさにオールマイティーな活躍を見せた選手だった。

二番で39本塁打

●アダム・リグス

 2005年にヤクルトに入団したアダム・リグスは、その年に規定打席未到達ながら打率.306、14本塁打と目立った活躍を見せ、翌2006年は主に二番で起用されることとなった。これが大当たりで、なんと39本の本塁打を記録。残念ながらタイロン・ウッズの47本塁打には及ばず、最多本塁打のタイトルは獲得できなかったが、破壊力抜群の二番打者だった。大きな期待を持って迎えた2007年は、ケガの影響で37試合の出場にとどまり、2008年に不振から構想外となって退団。4年間の在籍期間ながら、記憶に残る助っ人「恐怖の二番打者」だった。

1/2ページ

最終更新:8/10(土) 11:40
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

野球専門誌『週刊ベースボール』でしか読めない人気連載をはじめ、プロ野球ファン必見のコンテンツをご覧いただけます。

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事