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プロフェッショナルな医師とは

8/12(月) 7:03配信

Japan In-depth

【まとめ】

・ニュルンベルク裁判では医師の職業規範が優先され7人が絞首刑に。

・日本の強制不妊手術では医師の責任問う声はない。

・医師は国家や権力者に媚びず、患者サイドに立って生きるべき。

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=47342でお読みください。】



夏休み、真っ最中だ。この時期、私どもの研究所は多くのインターンを迎える。今夏、3名の高校生がやってきた。今井傑人君、河野佑太君、浜崎玄人君だ(写真1)。神戸市の灘高に通う1年生だ。筆者は1987年に灘高を卒業しており、35年後輩にあたる。知人を介して連絡を受けた。

3人に進路希望を聞くと、全員が「医学部を受験したい」という。筆者が予想した通りの答えだった。

灘高は医学部に進学する生徒が多いことで知られている。今春の入試では104名が医学部に合格した。うち京都大学医学部に26人、東京大学理科III類に20人だ。

卒業生の約半数が医学部に進む状況は異様だ。灘高の教員も苦々しく思っている人が多い。「私は「医学部には行くな」と指導しています」という教員もいる。

灘高生は優秀だ。優秀な人材が医者にばかりなるのは、我が国にとってデメリットも大きいだろう。

ただ、現状を総合的に勘案すれば、彼らの判断は合理的だと考える。むしろ、もっと医学部に進めばいいと思う。灘高生3人にも医学部に進むように勧めた。

なぜ、私が医学部進学を勧めるのか。それは、医師が古典的な意味での「プロフェッショナル」だからだ。

「プロフェッショナル」の語源は”profess”だ。「pro =前」で「fess = 話す」ことだ。中世の欧州では医者・法律家・聖職者は、その職に就く前に神に対して「自らの専門的な技能を用いて、社会(医師の場合は患者)のためにベストを尽くす」と宣誓することが求められた。

いずれの職種も高度で専門的な技能を要し、社会とは情報の非対称が存在する。素人を欺くことは容易だ。「プロフェッショナル」には高度な自己規律が求められる。医師の場合は「ヒポクラテスの誓い」となった。

20世紀に入り、「プロフェッショナル」と呼ばれる職業が急増した。プロ野球選手、プロゲーマーなど、顧客から金をとれば、誰でも「プロ」と呼ばれ、アマチュアと対比する概念で語られることが多い。

本稿では古典的な意味での「プロフェッショナル」が、現代になってどう発展したか論じたい。ここで是非、ご紹介したいのがマービン・バウアーだ。マッキンゼー中興の祖と言われる人物で、コンサルタントという職種を「プロフェッショナル」として定義し、その地位を向上させた。ご興味のある方は『マッキンゼーをつくった男マービン・バウアー』(エリザベス・イーダスハイム著、村井章子、ダイヤモンド社)をお勧めしたい。

マービン・バウアーが主張する「プロフェッショナル」の条件は、自らが有する専門的知識を活用して、顧客のために働くことだ。その際、報酬は顧客からもらう。顧客との間に専門的知識の差があるため、顧客第一の自己規律が必要だ。

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最終更新:8/12(月) 7:03
Japan In-depth

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