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孫文率いる革命秘密結社「中国同盟会」の拠点「晩晴園」|古き良き時代の雰囲気が漂う街の中に残る、歴史を生き抜いた邸宅(シンガポール)

8/12(月) 15:01配信

サライ.jp

文・写真/パーソン珠美(海外書き人クラブ/シンガポール在住ライター)

大都会然としたきらびやかなビルが建ち並ぶシンガポール随一の繁華街オーチャードから北へ20分ほど車を走らせたところに、打って変わり、中華、イギリス、マレーのスタイルが融合したショップハウスという植民地時代の建物が多く残り、古き良き時代のノスタルジックな雰囲気が漂うバレスティアというエリアがある。

バレスティアの裏通りを歩いていると、広い前庭を見渡す優雅なバルコニーを持つ、南洋のコロニアル様式の立派な屋敷に出くわす。その建物はシンガポールにおける最重要保存建築物のカテゴリーである「ナショナル・モニュメント」の指定を受け、「スン・ヤット・セン南洋記念館」として一般公開されている。

晩年を過ごす母が平穏で幸せに満ちた生活を送れるようにと、かつて持ち主より「晩晴園」と名付けられていたこの屋敷は、その名前とは裏腹に激動の運命を辿り、今に至る。

革命秘密結社により計画された、中国本土での武装蜂起

辛亥革命の中心人物で、中国を清朝の圧政から解放させた英雄として知られる孫文は、1895年に最初の武装蜂起である第一次広州起義に失敗して以来、革命の成功まで16年に渡り、世界各地を転々とする苦難の時代を過ごした。

貿易やプランテーションの経営などにより財を成した華僑が多いシンガポールを、革命の支持と金銭的サポートを求めるために孫文は度々訪れ、有力者たちを取り込むことに成功する。

中でも裕福なビジネスマン張永福は、所有していた晩晴園を、1906年、孫文率いる革命秘密結社「中国同盟会」南洋支部の本拠地として提供することを申し出、孫文のシンガポール滞在時の拠点となった。

晩晴園は、1902年、サトウキビプランテーションだった土地を購入した梅春輔(別名、梅泉宝)という華僑商人が意匠を凝らし建てたものを、張永福が母の老後の暮らしのために購入していたものであった。

老女が何不自由なく暮らしていた美しい晩晴園は、清朝と繋がるイギリス植民地政府の目をかいくぐり革命活動を続ける人間たちが集まる場所となり、実に10回に渡り起こされた中国本土での武装蜂起のうち、黄岡起義、鎮南関起義、河口起義が計画されるというドラマティックな展開に身を任せることとなる。

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最終更新:8/12(月) 15:01
サライ.jp

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